不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

池中玄太が寿三郎になったぁ~

ママがポンコツになってきたから、お前が助けてくれ。

・・・父がわたくしにそう告げる。

それが一番。それが真理ではないか、よく考えてみよ、と。

俺は、面倒をみてもらう。お前に。そういうつもりでお前を育ててきた、と。

 

かつて、わたくしの友達が家に遊びに来ると必ずカットインしてきてカメラを向けた父でった。たいして腕は良くないのに、キャップを後ろ前に被りカメラを構えるポーズは、

当時の人気ドラマ『池中玄太80キロ』の主人公そのものであった。

今はもう、カメラどころかテレビの録画ボタンも押せないお爺ちゃん・・・。

この日も、DVDが再生できないから来いと呼び出されて駆け付けたところであった。

 

池中玄太80キロDVD-BOX I

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  • 発売日: 2004/10/21
  • メディア: DVD
 

 

で、昨夜、父にンなことを言われ、実家から帰宅した。

なにげなくテレビをつけてみると西田敏行がベッドに横たわっているシーンが映し出された。

思わず口にしていた缶酎ハイを噴き出して爆笑してしまった!

西田敏行っ!!さっき、「じゃあ、考えるわ」と伝えて別れてきた父の顔にソックリだ!

 

ヤなドラマが始まったものだ。やれやれ・・・。

26年前の今日を、知ったかぶりしたくない

あの子は、素材的にいったら熱伝導率が高い人なんだと思う。

側に居ると、知らず知らずのうちにあの子のペースが伝播して朗らかになれる。


例えば、クラス対抗リレーで。

前走者がバトンを落として抜かれていく。捨て鉢になった次走者がダラダラ走りビリに。しかし、アンカーのあの子は手にしたバトンを高らかに突き上げ、ゴボウ抜きをやってみせた。バトンを落としたメンバーの心を救済し、ダラダラ走ったヤツを無言のうちに罰したのだ。

そういう事ができるあの子を、人間として好きだった。


転校してしまったあの子と、大人になっても時折近況報告していた。


もう26年も前の事になる。

朝、TVをつけると、あの子が住む街が崩壊し、火の手が上がっていた。

前日、旧友たちと宴があり、あの子も上京してきていた。今後もがんばろうとグラスを打ちつけて笑いあったばかり。

あの子は夕方の新幹線で帰っていったはず。なのにあの子の街が燃えている!

呆然である。


阪神大震災

爆撃を受けたように崩壊している街をヘリコプターからの俯瞰映像で観るのが苦しくてTVを消して過ごした。

それからの数日、ラジオで読み上げられる震災死者の名をラジオから聞き漏らすまいと耳を傾けて過ごした。

オフィスの窓からは、東京駅から出発していく新幹線が見えたのだが、その普通すぎる姿が憎々しくてならなかった。

数日後、旧友の1人から、あの子の無事が知らされた時には、ヘナヘナと力が抜けてしまった。

「避難所で手伝ってるらしいよ」、そうか、あの子らしいね、と胸を撫で下ろしたのだった…。


多くを語らないあの子だが、後日、あの日、瓦礫から突き出る手を掘り出し、いくつかの命を引きずり出す事が出来たのだとだけ教えてくれた。

壮絶な体験は、当事者でなければ同じだけわかってあげられない。

俯瞰映像の下で命が燃えてしまいそうになっていたのだ。その事実を、聞いただけで知った事にしてはいけないのだ。


「父さんになりなよ!ぜったいに向いてるから!」と。

「息子でも恋人でも夫でもなく、お父さんが1番似合うよ!」と。

結婚が遅すぎるあの子に、たまに開かれる同窓会でお節介な言葉を投げかけてきたが、ホント、余計な言葉だったよな、と至極反省している。


そして近年、あの子が父親になったらしい!と嬉しい情報がもたらされた。

あの子を思うだけで熱伝導で、こちらまで嬉しかった。

さぞ朗らかな家庭であることだろう。

わたくしは、あの子の正義を今でもやっぱり尊敬している。

どうかどうか、沢山たくさん幸せに…


淡々と

我が夫には「いただきます」と言う習慣が無い。
「ご飯だよ」と声掛けする頃に着席し、全てが膳に並ぶ前に食べ始める。これが21世紀スタイルなのかもね、と、眺めて過ごしてきたが、いまだに慣れず、寂しい。
一方で「ごちそうさま」は言う。食卓を囲む他メンバーがまだ食事中だろうがお構いなし。箸を動かし腹が満たされたらば、そう言って席を離れていく。
ついでに言うと、「ただいま」と言う習慣も無い。
これについては息子からも失われたワード。だって、ほら、ウチの子はアレだから、在宅がほとんどで…。

ところで、わたくしは昨年秋からフルタイムで夜勤ありの仕事に転職した。
これをきっかけに「いってきます」と「ただいま」を言わずに出勤と帰宅を繰り返している。
在宅息子に「いってらっしゃい」と言われるのは腹立たしいし、
「おかえり」というレスポンスが無い場面もまた凹むのだ。
だから、といって長年身体に刻みこまれた挨拶の習慣を言わずに、ぐっと呑み込むのは実に苦しいものだ。
これが当たり前にできるようになった時にはわたくし、人としてどうなってるんだろ?

だんだんと心と家族が壊れていく…?

否!壊すも壊さないのもわたくしのテンション次第に違いない!
別所哲也も言っているではないか。ご機嫌は自分で作るもの、と!
今日から復活させてみようかな。
では早速、今一度の、いってきます!

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よしっ!まだ大丈夫だっ

中継画面にもしも、わたくしの姿がチラとでも映り込もうものなら

箱根駅伝フリークの息子はきっと、二度と口をきいてくれないに違いない。

 今年は家で応援。当然とばかりに、そう決め込んだ息子を自宅に残し、図らずも実家にやって来ることになってしまったわたくしは、葛藤していた。

沿道での応援観戦に行かぬべきところであるが・・・。

 

 実家は駅伝コースの近隣に在るのだ。

例年であれば選手たちが遊行寺を過ぎた頃から沿道に向かう。

その途中に出くわしたご近所さんと新年のあいさつを交わし、また、

元・同級生たちと「変わらんな」だとか「太った」なぞと悪態をつきながら選手たちの通過を待つのだ。

 

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 今年は各大学の幟も無く、声援も無い。

テレビ中継が時折、選手の足音までも拾っている。

小旗を振る応援者も居ない・・・。

息子は自宅でテレビで観戦中。

 

年末に体調を崩して入院したものの

ほどなくワケあって退院してきてしまった父。

その父を介護する母をレスパイトケアするためにわたくしはやって来たのであって

決して箱根駅伝を観戦するために来たのではなかった・・・はずなのだが。

 

藤沢駅入口付近を選手たちが過ぎた。

と、同時に父が便意が起きたと言うので手引きでトイレへ案内した。

が、しかし、ガスばかりが出て本体が出てこない!

ひたひたと近づいている選手たちが気になるわたくし!

さあ、どうする?

ふと、トイレの棚を見上げるとリハパンに添付して使用するパットが不足しているではないかっ!

ひらめいたわたくしは、父にパットを購入してくるから、そこに座っていなさいね、と適当なことを言い、靴をつっかけて小走りに沿道を目指した。

どうしても今、ひたすらにタスキを胸にして走る

若者たちを見ておきたかった。

でないと、

黒い気持ちに浸食されてしまいそうで怖かったのかもしれない。

メロスのように

約束を果たすために走る彼らに浄化されたかったのかもしれない。

 

果たして、沿道では黄色い大会ジャケットを着用したスタッフと警察官が

コースに背を向けて要所要所に立っていた。

観戦者は嘘のように少なかった。

そんな中へわたくしは勢い込んでやって来たにもかかわらず、コースには近づかずに辛うじてゼッケンの学校名が読み取れる位置でひとり、選手が過ぎていくのを見守った。

無駄な脂肪をまとわない彼らは、この日のためにすべてを調整してきたのだ。

繰り出す足の一歩一歩を称賛したい。

・・・親のような気持ちでいたら涙があふれ出てきた。

・・・親!トイレに置いてきた父を忘れてはいけなかった!パットは、またにしよう‼

 

慌てて実家に戻るとスッキリした顔つきの父がトイレに座ったままパットの到着を待っていた。ごめん。

一時は排便もオムツ上になるかなと危ぶんだ父だが、トイレで完了することができた。

よし。まだまだ今年も大丈夫そうだ。

きっと、すべてうまくいくに違いない。

 

 

富士急ハイランド級のコースターは、もういいや!

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16歳の息子は、中学2年間を完全不登校の後に卒業。

他県の県立高校へ入学を果たし、コロナ禍にも拘わらず順調に高校生活をスタートさせたのも束の間、どうしても「転校したい」と言って、夏休み明けに自宅に戻ってきた。

 

なぜ?だのどうして?だのと押し問答をしている間も選択肢もなかったので

通信制高校へ転校?

②来年、改めて高校受験をするか?

③それとも働いちゃう?

の、三択の中から①を選んだ。

 

で、10月からびっくらするほど机にかじりついて勉強しているなぁ・・・と思ったら

本日、1学年で取得分の単位レポートをすべて完了したのだと言う。

明日からは

【本当にやりたかったこと】【高校生の今しかできないこと】を始めるそうだ。

 

なんだか晴れやかな表情で鼻唄を歌っている息子が

辞めてきた高校のネーム入りのジャージを着ている。

フォレストグリーンの凄い色のジャージだ。

牛乳を買いに行ってよ、と頼んだら

いいよ、と応じて夫のお下がりのドカジャンを羽織ってコンビニに行った。

 

自由な16歳。

 

息子に.

たった一人でいいから、人生の師に出会って欲しいものだと望んでしまう。

たった一人でいいから、冗談を言い合える友達が居て欲しいと望んでしまう。

「まだ、そんなこと言ってるの?」と息子は呆れているが。

 

お出掛けしたくなった時にジャージではお困りだろうから

服をみつくろってやった。

古着屋で見つけた髑髏のプリント柄のトレーナーとキャップを・・・と、思ったが

GUの無難なトレーナーを選んだ。

犬のプリント柄が可愛いと言い、喜んでいるふうな息子であった。

 

しかし。この一年はジェットコースターのようにめまぐるしかった。

しかも富士急ハイランド級の!

ド・ドドンパ!

高飛車!!

FUZIYAMA!!!

ええじゃないか!!!!!

ま、乗せられて仕方なく乗ったわけでなく、

わたくし自ら面白がって乗ったんだけど、もういいですぅ。

スプラッシュマウンテンやレイジングスピリッツ程度の刺激で十分ですぅ。

 

2020年が、めまぐるしかったのは我が家だけではない。

2020年に見たかった夢を、形を変えて見続ける創造力をキープしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中村憲剛選手のこと

憲剛選手を初めて見たのは12年ほど前のことだったと思う。

 

川崎フロンターレの練習場。

息子とわたくしは、選手が去った広い芝の上を修繕するグラウンドキーパーの作業を見ていた。

毎日、プロ選手が駆け抜ける練習場である。

遠目では上等な緑のベルベッドに見える芝であるが消耗は大変なことであろう。

グラウンドキーパー氏の作業は大変緻密で、ひとつひとつ手触りを確かめるようにしながら小さな芝のほころびを修繕していく。

それにしても、練習場の芝は広い!いつ終わるとも知れぬ作業である。

夏の日盛りのなかである。縁の下の力持ちの仕事というのは尊い・・・。

息子と練習場を後にし山道に差し掛かった時、

前方から中村憲剛選手がジョグでやってきたのだ。

 

笑顔に少年の面差しを残した青年が、わたくしたち親子とすれ違った・・・。

 

当時4歳の息子にはその衝撃は大きかったようで、

その日を境にシンケンジャーになりたかった幼児は


シンケンジャー 変身

 

中村憲剛選手になりたい」と言うようになった。

 

以来、ルールもままならないわたくしであったが、息子を連れて等々力スタジアムへサッカー観戦に出かけていくのが楽しみになっていった。

観戦マナーはサポーターの皆さんに倣い、

タオルを掲げ、振り回し、共に歓喜した。

ある時は台風の中、息子と揃いのカッパを着てずぶ濡れになりながら。

普段、おとなしく、テンションの低い息子が憲剛選手がゴールを決めた瞬間に隣席のオジサンに抱きかかえられて喜んでいる様に胸が熱くなったり。

母と子の思い出をたくさん与えてもらった。

 

そんな憲剛選手が引退する。

シルバーコレクターと言われ、優勝になかなか手が届かなかったあの頃のチームを、攻守ともに圧倒的な強さを誇るチームに成長させて・・・。

選手ばかりではなく、スタッフ、サポーター、そしてフロンターレに関わるすべての人に対する感謝と愛を喜びの言葉に代えて・・・。

 

憲剛選手のインタビュー記事で印象的な言葉がある。

目の前のことを一生懸命にやる。

自分に期待する。

可能性に蓋をしない。

きっと、これからの憲剛選手も、↑そうあり続けることであろう。

わたくしも、胸に刻んでいる言葉。

息子の胸にも焼き印してやりたい・・・。

 

ピッチに立つ彼の姿を目に出来ないのはさびしいけれど、

これから先も、きっと彼の笑顔は変わらないだろう。

活躍を楽しみにしていきたい。 

そして、携帯の待ち受け画面にさせてもらっている憲剛選手と息子の2ショットも、変えるつもりはない。。。

 

そして、トミカフロンターレラッピングバスも買おうと思う。

 

 

 

石よりも強いもの、それはパーなのだぁ。

f:id:kanimega:20201127141642j:plain先日、母の誕生日に、と、妹と実家へ向かった。

夜勤明けの土曜の午後で予期せぬ渋滞に巻き込まれてしまい、

実家に着いた頃にはすっかり日暮れてしまった。

 

父は宴の食事を待てず、早々に自室で済ませて高いびき。

「ごめん」と発声したら母はすかさず

「ただいま、でしょ!」とツッコミを入れてきた。

 

何も要らないという母に、ささやかではあるがプレゼントを渡し、

小さなケーキに蝋燭をともしてハッピーバースデーを歌った。

ホットワインカップを手にした母がポツリ一言。

「何にもなれないうちに、何も生まないうちに後期高齢者になってしまったワ」

ドキリとして視線を交わす妹とわたくし・・・。

「たまにね、思うの。ああ、自分は石以下だなぁ。。って」。

 

母がそんなに寂しいことを日々考えて生きているなんて申し訳ない。

 

ママには自慢の娘がいるではないかっ!

大好きな絵を描くことを仕事にできた次女がいるではないか!

出来はアレだがママには孫も居るのよ!

ママが石なら、長女のわたくしは何?

石より弱いのはイヤ。

ママにはそろそろ勝ちたい。

だからわたくしはパー!

ママの石の思考を紙にひっくるんでゴミ箱に捨てるよ!

・・・そう、まくし立てると、

母は「長女はパーかっ!」と泣き笑いしていた。

 

後だしは、許さないヨ。


※追記

今しがた、オキザリス花言葉をググってみたところ【母の優しさ 決してあなたを捨てません】と、あった。タイムリーである。