元日。
夫の叔父叔母の二人暮らしを訪ねた。
13時半。ドアの呼び鈴を押して数分待つ。
しばらくして薄くドアが開かれ蒼白の叔母が顔を出した。
明らかに体調不良と見て取れる夫妻の顔色に愕然とし、早々に辞す。
この状況を夫は知っていたのだろうか?
怒りがにじみ出る思いでそのまま車に乗り込み義兄夫婦の家に襲撃をかける。
14時半。義兄の言うことには
「【叔父叔母の体調不良を知ったら、kanimegaが老夫婦の要らぬところまで手を出し口を出すに違いない。だから知らせないでくれ、】と弟から言われた」ので内緒にしていた、と。
15時半。亡き両親の実家を継いで暮らす義姉を訪ねる。
小柄な義姉は凍えそうな細身の全身に義父の衣類をまとい、エスキモーの少年のような様子だ。火の入っていない台所の様子から義姉もまた体調が不良である様子が窺えた。
今の義姉に叔父叔母をサポートできる余裕は無いことだけは明らかだ。
叔父叔母は誰の力も借りずに限りある時間を伸びのびと消費したいと望んでいる、だから今、手も口も出せないのだよ、と、諭すように伝えられた。
わたくしが改めて介入したとして、ソレは明日からしばらく、たとえば季節が暖かくなるまで持続可能な行動なのか?と問われれば二の句が継げない、約束しかねる。
加えて介護保険サービスに助けてもらいたい項目は何一つ見いだせないと言う老夫婦に、わたくしが提案できる話は全く無い。
「帰るね」。
そう言うわたくしの背中に義姉は、
余力があるのなら自分の両親のお世話を去年以上にやってあげてよ、と
言ってくれた。
帰路のアクセルは脱力気味に操作していたのだが
信号待ちの車中で妙な揺れを感じた。直後カーラジオのクリスペプラー氏が能登地方の地震を伝えた。
?あれ?震度って、そんなもん?
カーナビをテレビに切り替えると画面に【逃げて】の文字が躍っており血の気が引いた。
反射的に車の進行方向を自宅とは反対の海の方角に替えて走らせていた。
実家は太平洋側なのだが
無性に両親に会いたくなったのだ。今、会わなければ、と。
「あけましておめでとう」を言えるうちに伝えなければという思いに突き動かされていた。
きっと、父は嫌がるだろうが新年だから、という理由をかざして風呂に入れてやろう。
耳に、、目に、、、、臀部に、、、、、こびりついた汚れを落とし
剝離した皮膚ににワセリンを塗ってやろう、
つながった眉毛もカットしてやろう、
それから今年もたくさん喧嘩しよう・・・。
変わらぬ毎日を重ねていこう、日々の変化を見守ろう・・・。