不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

自ら何事も起こさず、流れの中、反射で生きている②

2025年11月25日。

一か月前、わたくしは親介護の別次元へのスイッチを入れた。

 

父は

高次脳機能障害の特徴の一つである社会的行動障害が強く出現する人である。

 

①些細なことで怒る

「歯を磨いたほうがいいよ」では怒り出してしまう父に「新しい味の歯磨き粉をみつけたから使ってみない?」や、「電動歯ブラシで磨いてみない?」などと声掛けをし、結果九分九厘、歯磨き行動には導けない。

 

②落ち込む

糖尿病のため厳しい食事制限がある父である。おやつや、甘いミルク入りコーヒーは提供できない。しかし、根っからの甘いもの好き。深夜の台所に出没し、調味料を舐めている。その行動を頭ごなしに注意すれば怒りを買う。

「知っているよ、夜中に出没する妖怪のこと」

そんな言い方で遠回しに詰れば父は

「情けないっ!娘に妖怪呼ばわりされるとはっ!学費を掛けて育てた割には出来栄えの悪い女に仕上がったもんだっ!俺の人生の不覚だ」と本気で落ち込むのだ。

③相手の気持ちにたって考えられない

面倒くさがりの父である。家庭で清潔で安全な生活を送ってもらうには守るべき行動基準があるだろう。それを促すのに声掛けをするのだが、その声掛けがすべて

「死ね」と言われているように聞こえるらしい。

「恐ろしい妻と子供に命の時間を搾取されている!そんなのは不当だ!助けてくれ!」

・・・そうなると諦めて罵詈雑言を浴びせられながら父の居室から出ていくしかない。

 

④ひとつのことに強いこだわりをみせる

特に時間は手厳しい。今日、行くね、と伝えれば、何時ごろ、ではなく、何時何分に到着するのかを正確に伝えねばならない。

昼飯は何時だ、と問われて12時半くらいかなぁ?と答えれば、くらいとは何事だと怒る。じゃあ、13時に昼飯を開始しよう、と伝えれば、約束を二転三転する人間は信用できない、12時半にきちんと出してくれ、と血走った眼で訴える。

 

⑤我慢ができない

今気づいたことは、今解決したい父。

父の日のプレゼント忘れていたわたくしが悪いのだが

「父の日は、父の日のうちに祝わなければ意味がないだろう」と、再三電話を掛けてきた父。プレゼントは次の日曜日に渡すよ、と諫めても効かず(④の特性もあいまって)、深夜、高速をぶっ飛ばし、ぎりぎり父の日のうちにプレゼントを届けたことがある。

 

⑥何もしたがらない

着衣交換

食事のための食卓への移動

歩行

体調維持に必要な作業(血糖値測定や尿破棄)

機能訓練・・・。

全てはもう、こんなに頑張って生きているのに強いるのかという怒りに通じてしまうため家族が諦めてしまった。

 

父の社会的行動障害は、15年に渡り家族を蝕んできた。

利用を中止とされてしまった施設を含め、7か所を転々とし、5人のケアマネージャーがバトンを繋いで父の介護計画を立ててくれた。

介護計画の変更が有るたびに母の中に「恥ずかしい」という思いが芽生えてきた。

すると長らく暮らしてきたコミュニティの中にあり、母の貢献もあり良好だった近所の関係は希薄になっていった。

何かあった際にお手伝いをお願いできる人もなく、例えば父がベッドから滑り落ちてしまった際はわたくしが到着するまでの二時間を父は床で、その後に起きてしまった便失

禁にまみれて過ごすことになった。

糞尿にまみれた父を罵声を浴びながら洗うわたくしの横で母は

細い悲鳴をを上げながら泣いていたが、やがて激しい嗚咽となった。

 

こんな日常では、母が壊れちゃうな、そう感じながら実家を離れ自宅に戻る自分が

解放感でホッとしていることに気づき、身震いした。

 

母の妹であるところの叔母は、母から介護のつらさを聞いて怒りの矛先をわたくしに向けた。

「お姉ちゃんの自由を返してよ」「結婚し、年老いたパートナーは他人。年老いた親を看るのは血縁がある子供の義務でしょ」

叔母の言わんとするところはわかっているのだが、わたくしには恥ずかしながら経済力がなく、父を有料老人施設に送り込む力がない。

しかも父の持病を考えると24時間看護や介護サービスが必要。

加えて父の持病はすぐに命に関わるものではないから、この先入所したとして10年在命したとして・・・いったい幾ら必要なんだろう・・・。

医療入院をしても社会的行動障害から他の入院患者や看護士はもとより、医師との折り合いが悪く10日予定の入院が2日で退院を促されてしまう父。

リハビリ目的で入った介護老人保健施設など、なかば強制退所であった。

 

だから在宅で看るしかなかったのだ、と心の中で言い訳をしてきた。

15年も母に父の事を擦り付けてきた。

 

母は、どう思っているのだろう?

父と母が

この先の時間を分けて暮らしていくことをあらためて問うてみた。

「分けて、って、分別ごみみたいに言うのね」

口角を歪ませて苦々しく吐き捨てるように

「こんな夫と生きるしかない人生の最後を呪っているわ、そしてこの地獄から引きずり出してくれないあなたを堕ろしてしまえばよかった」

え?

一瞬母の言葉に耳を疑ったが

自分の中で何かが切れて別のスイッチが入ったような気がした。

で、父を母から分けてしまおう、という思考に至り、

反射的に動き出した。

11月25日。

母80歳の誕生日の夜だった。

 

 

 

 

自ら何事も起こさず、流れの中、反射で動いている①

隣家は大豪邸であった。

 

家主が亡くなり2年。住む人の絶えた古民家は季節の移ろいの中、静かに佇んでいたが、いよいよ解体作業がスタートした。

 

まず、大梁や屋久杉の一枚板で作られた板戸などが持ち去られた。

 

続いて主だった家電が持ち去られた。

 

そのあとは大型重機が一掴みごとにワシワシと引っ張り100年の家を破壊していく。

埃立ち上る空が一掴みごとに拡大していくのだ。

 

築山をぐるりと囲むように並んでいた植栽たちが丁寧に伐根された。

 

続いて敷地の四隅に植えられていた檜や杉、樅木、椎の木たちが残された・・・。

我が家のベランダを夏の灼熱の地獄から守ってくれた木々である。

我が家の雨樋を毎年ウンザリするほどの杉花粉で詰まらせてくれた木々である。

どんぐりや落ち葉でクラフトを楽しんだ日が懐かしい。

根元の蝉やカブトムシ、クワガタは来年に命をつなぐことはできなかろう。

いずれも20メートル超の木々である。

ツリークライミングして特殊伐採をするのかなぁと見学していると

お屋敷の庭が広いので、そちらへ向けて一発で刈り倒すのだと職人は言った・・・。

いよいよチェーンソーがうなりを上げる。

杉、樅、椎が刈り倒されていく度に地面が揺れる。

最後に残ったのは檜。

クレーンにロープを繋ぎ伐倒方向を調整する様子である。

力技の伐倒現場とは似つかわしくない清々しい香りがあたりに漂う。

追い口が一段と深くなると退避命令が出された・・・が。我が家の窓から作業を覗いているわたくしに退避場所は無い!

緊張が走る中、ほどなくして古木は斜めに傾き、

ツルが悲しい音を立てて裂け

最期は震度3程度の衝撃を生み出しながら地面に叩きつけられた。

年輪を97まで数えてみたがそのあとは、よくわからないくらいに朽ちていた。

この檜も寿命だったということであろうか。

将来の家の修繕に備えて隣家の先祖が植えたはずの木は

残念ながら製材には出されず、そのまま産廃となると聞いた。

 

翌朝、窓から入り込む朝日がいつもに増して濃いことで目が覚めた。

そうか、昨日まで檜が遮っていた朝日が我が家に一気になだれこんでいるのだなぁ・・・。

加えて濃厚なαピネンが周囲を包んでいる。

サンダルを突っかけて昨日の切り株を見に行くと・・・

そこには天を詰められ行き場を無くした檜オイルがにじみ出ているではないか。

まるで涙を流すかのように切り株を濡らしているのだった。

 

そして季節は移ろい

隣家跡地にはマンションが建築中であり、我が家に分厚い影を落としているのだった。遮光カーテンではなくとも我が家の朝の訪れは自ずと遅くなり

夜は早くやって来ることを実感している。

 

見慣れない朝を夢みていた

天に願いが届くなら

一つだけ叶えてほしい事があった。

息子の母親としてもう一度、

「いってらっしゃい」と「おかえり」を言わせて欲しい、と。

息子の人生が動き出し、

再び目的地に向かう日の朝に

立ち合わせて欲しかったのだ。

…叶わなかったが。

 

「中学校通わなかったんだ」

とか

通信制高校だったんだあー」

とか

少子化の今どき大学受からない人居るんだ」

とか

およそ考えられる他者の言葉は想定しておかなくては。

履歴がネタにされ自尊心が傷つけられるようでは

せっかくの7年間が勿体無さすぎる。

 

引き篭もりカテゴリーに突入した20才の息子に

わたくしが出来ることはもう見つからない。

 

暁の空に

何を願おうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つなぐシナプス谷内六郎。祖母と叔母と従妹とわたくし。

2025年4月28日

2度目の脳梗塞を発症した叔母の言葉を以下に記す。

この病気の悔しさは、当事者以外にはワカラナい

 

今しがた言葉にしようとしていたことが消えてしまう

震える指先で握りしめるペンが記す文字は、もはや自分の筆跡ではない。

甘い、辛い、濃い、がボケた舌では、お母さんの味が再現できない。

大好きなものに囲まれた自宅で過ごす時間は地獄。

寄せ植えも、編み物も、裁縫も、アクセサリー作りもできず、

何も生産性が無い自分になってしまったと感じるから。

字面が追えず新聞の購読をやめてしまった。

無意識に白身魚の煮つけなどを頬張ってしまったときは嚥下がうまくいかず

命の危機を感じる。

思いもよらぬ場所で不意打ちのように転倒する。

だからといって杖やキャリーに頼るのは嫌なの。絶対に。

髪も括れないからね、美容院でザックリ切ってもらった

去年までの友人関係は崩壊。

だってこの様相をさらして同じようにつきあってくれる友人なんて居ないから。

お酒ももう飲めないしね。

 

で?

それでも命があってよかったね、って言うわけ?

リハビリしろって言うわけね?

ケアマネージャーさんに相談してみようね、?って?

がんばれって言葉、投げっぱなしで置き去りにしていくわけね?

安っぽいこと言わないでちょうだい、あなたは。あなただけは、言わないで。

無念と寂しさのなか、

わたくしからの電話もLINEも拒否する叔母を訪ねて行った際の会話である。

 

わたくしは叔母の梗塞以前をBCとし、以降をADと区分して考えている。

紀元前と紀元後。

多少の麻痺が残っただけとはいえ、

それほどの差異を叔母は感じているはずだから。

ましてや叔母は独居なのである。

安易な励ましや根拠のない期待を持ってしまうような言葉はセレクトしないようにしてはいるものの

耳障りのよい発語を心掛けたせいだろうか

あんた、BCの頃の対応と明らかに違うじゃん?気持ちがわるいんですけど、

と、余計に叔母を傷つけることになってしまった。

叔母は言葉では癒せない喪失感を抱えて生活していくのだ。命尽きるまで。

 

「とりあえず、車に乗ろうか」

気が乗らないふうの叔母にお出かけの誘いをした。

はて、何処に行こう・・・

水分補給のための麦茶を購入しようと立ち寄ったコンビニの書籍ラックで

ふと、週刊新潮を目にしてひらめいた!

祖母が大好きだった谷内六郎の絵を見にこう!

無言のまま横須賀美術館へと車を走らせた。

 

国道沿いのシャッター商店街をぬけていくうちに叔母の瞳から涙があふれてきた。

「町も歳とっていくんだ、変わっていくんだね」

うぅ。。。

しかし視界に海が開けてくると

「あれ、懐かしい!いいとこだぁ」

そして美術館の前に広がる芝生に腰掛け、しばし海を見つめていた叔母。

「この海が、あの子のところにつながっていると思うとまたセンチメンタルになっちゃう」と、なみだ・・・。

・・・あの子、とは叔母の娘でわたくしの従妹。若かりし頃のわたくしが果たせなかった八重山諸島への移住をサラリとやってのけ

ナイチャーに厳しい地で人に愛されウチナーの日々を刻み付けるように生きている頑張り屋である。

海を見て娘を想う母にはBCもADも年齢もへったくれもないのである。

 

谷内六郎の絵が好きだった祖母は週刊新潮の愛読者であった。

好きである一方で生前の祖母は

おかっぱ頭の女児が仰ぎ見る台所に立つ母の背中の絵を見るたびに

生活に追われていっぱいに抱きしめてあげられなかった自身の子育てを顧みるのだ

とも言っていた。

祖母にそんな思いがあったことをこの日、叔母に伝えた。

「おかあさん、か」

すっくと立ちあがった叔母は、海の向こうをギュっと見据えた

そして谷内六郎のいちまいいちまいを丁寧に見て歩いた。

 

谷内六郎が常設でよかったわ、電車で来てみようと思う」

そう言う叔母に夏の日の横須賀美術館の蝉時雨と

帰りのバス停で飲む缶ビールもごちそうであることを教えてしまった。

これからのADを生きていく叔母には新しいシナプスをつないで

新しいことをみつけて

新しい場所へ

そして旧友との新しい関係性を構築して。。。そんないろいろを応援したい。

 

 

 

 

 

 

 

サルベージしてきた、と、わたくし。潜航してきただけ、と、息子は言う。

息子が所属していた学校から大きな荷物が返送されてきた。

 

泥に覆われて穴が空いたブーツ。

機材の危険から身体を守ってきたのであろう装備品からは塩が吹いている。

参加した大会で得たトロフィーは一つ。なのに、息子にくれてしまうの?

いいんですか?

申し訳ない。

情けない。

残念だ。

 

学校は辞めたのだ、という。

 

ひとり暮らしのための道具を買い与え、アパートの近くのホームセンターで道具を買い足し、軽トラックで部屋に運び込んだ冬の日が思い出される。

息子のひとり暮らしを支えたはずの道具たちは帰郷にあたり瞬く間に不要となった。

洗濯機と電子レンジと冷蔵庫はトレジャーファクトリーで3000円で引き取られていったという。

レンタルしたハイエースに積めない荷物は不燃物となったという。

 

この選択を許しがたい。

沈みゆく息子の青春を何度となく引き上げてきたつもりだったわたくしは、

夫になんとかしてくれ!と訴えたが

「子供の帰還を認められない、というなら、あんたが出ていけばいい」

「帰還を認められないのは、あんた。俺は容認」

と逆ギレされてしまった(-_-;)

 

夫は逆ギレ

息子は充電切れ

 

息子曰く、

「浮上したわけではない。9歳からずっと人生を潜航中」

というのだ。

うまい。

 

春。

息子は不登校のタグを外し次のカテゴリーを探さねばならないだろう。

 

 

君の心は沙羅双樹の花の色

わたくしが夜行バスを利用する際はすべて

その目的地に息子が絡んでいる。

 

自宅を離れ、一人暮らしをする息子の安否確認が今回の目的。

連絡がスムーズに取れなくなってきた4月、すぐに駆けつけていたらこうはならなかったのかもしれない。

宅急便も返送されてくるようになった5月、何かが変わってしまったのだろうと確信するが確かめようもなく。

やっと仕事の段取りが付き夜行バスに乗った6月、

既読がつかない息子のLINEにバスの到着時間を知らせ続ける。

23時、1時、3時、5時、7時・・・もはやこれまでと諦めかけたその時

【バスはどこに着くのか】と返信が来た!

迎えにきてくれるんかっ?安堵で鳥肌がたった。

食わそう!とにかくこの数日は何も聞かず食わすことにしようと決めた。

 

待ち合わせの場所に現れた息子は予想以上にやせ細り弱弱しかった。

 

最初の朝

ミスタードーナツ

幼少の頃から好物だったはずのミスタードーナツ

もっとたくさん食べれば?の問いに

「2個でええよ」と

関西弁交じりに言う19歳の息子。

ふと、店頭でひっくり返ってもっと買ってくれとせがむあの頃の息子の記憶が蘇った。

 

kanimega.hatenablog.jp

顔色は悪いが案外元気そうな様子なので、そのままの足で観光旅行に連れ出した。

 

最初の昼ご飯

大阪王将

山寺を巡りかなり歩いた。汗をかいた。

「こんにちは」と店主に伝え店内に入る息子。

クーラーの効いた店内で飲む、お冷やが旨い。

のど元をごくごくといわせて飲み干す様子には生き生きとしたものを感じる。

「読んだよ、道化の華だっけ?太宰は好きじゃないな」

青春といえる時間に身を置いているうちに読んでみたら?と勧めた本の一冊がそれだったのだが・・・はい、そうですかと、苦笑い。

 

日替わりランチ。

ラーメン・餃子‣大盛りライス

 

最初の晩御飯

アパートの超絶に使い勝手の悪いキッチンで晩飯を作ることにした。

久しぶりの外出で疲労した息子は床に四肢を伸ばして昼寝。

夕方の誰かのための夕餉の支度。

燃えるような夕日を眺めながら・・・

 

茄子煮びたし

トマトサラダ

叩きキュウリのショウガおかかまぶし

ぶどう

冷ややっこ

 

学校へ行かず今、取り組んでいることをぽつぽつと話し出した息子。

それをコッソリとメモしながら聞いていたわたくしは、

さきほど見た山寺の夏椿の落花を思い浮かべていた。

この世のものは

絶えず変わっていくもの。

強い志をもってここまでやって来た息子の気持ちとて変化していくわけだ。

日差し漏れる木々の庭に吹き抜ける風に揺れ

まだ白く美しいままにポタリポタリと落ちる沙羅双樹の花の色。

 

二日目の朝ごはん

ジューシー飯

具だくさん味噌汁

 

息子が買う安米の銘柄は関東圏では見かけたことがない。

ぽそぽそしてモッチリ感に乏しい。

ショウガとシーチキンで炊き込みご飯にしてみた。

それをあっという間にたいらげた息子には

だいぶ覇気が戻ってきた。

食べる、って大切だ。

 

道の駅で豆腐を買いたいから、と誘い出し、

レンタサイクルを借りた。

 

二日目の昼ご飯

道の駅で

古代米と産直野菜のカレー

 

「とうちゃんと、かあちゃんの昼ご飯は、どんなふう?」

ふいに息子に聞かれてとまどった。

夫は単身赴任で金曜の夜もしくは土曜の夜に帰還する。

しかしわたくしは週末に仕事があり、食卓を共に囲むことはほとんど無い。

しかし先日、義母の周忌墓参の帰りに義姉と夫とわたくしというメンバーで

中華料理の店で外食する機会があったという話しをした。

三人で黙々と箸を運びまくりアッという間にお開きになった、という話しに息子はゲラゲラと、さもありなんと笑いこけた。

「とうちゃんさ、酔っぱらうと、どんな相手にも『オマエ』って呼びかけるの怖いわ」

「『だからよっ』って言って相手の話しを収束回収しちゃうのもずるいよね」

・・・同感である。息子よ、同志よ!

成長したら、とうちゃんの、その癖を注意してやってくれ!

 

ペダルをこいでこいで、そのままどこまでも行けるような気がした。

二日目の晩御飯

ズッキーニの香草粉チーズ焼き

人参マリネ

厚揚げと油揚げ焼き

さくらん

 

今後の話しに至り、息子の計画性の浅さに腹を立てる。

もう1品作るね、と向かったキッチンでハイボール片手に寝落ちしてしまった。

疲れた。

気づくと皿はきれいに洗われていた。

 

三日目の朝ごはん

大和牛のハンバーグ

サラダ

ゆで卵

 

さすがに昨晩のメニューは動物性タンパク質が足りなかったと反省。

早朝のファミリーマートでバンズを買い、

ハンバーガーと卵サンドを作った。

 

こちらも息子完食。

 

レンタカーを借りて峠を走ろうということになり出かける。

が、

息子、免許不携帯で出てきた。

で、わたくしが仕方なく

昔、箱根で鍛えた腕を披露することにした。

 

三日目の昼ご飯

イノシシ串揚げ

イノシシコロッケ

キクラゲ、マイタケ天ぷら

湯葉

蕎麦

 

途中、日帰り温泉に立ち寄る。

帰路、わたくしの華麗なハンドルさばきを見守るでもなく息子、

助手席で右へ左へと舟をこぐ。変わらないな・・・

 

三日目の晩御飯

まぐろ

カツオたたき

夏野菜パスタ

 

最後の日の朝ごはん

ゴーヤーチャンプルー

白米

茄子味噌汁

 

息子、箸がすすまない。

どうやら登校しようともがいている様子。

そっと弁当を作り持たせる。

見張るわけではないが駅改札まで見送る。

「弁当持って観光しに行ってこようかな」

という息子。それもいいのかもしれない。

久しぶりにいってらっしゃい、と言ったものの苦しかった。

 

弁当の中味は

のり弁

豚に片栗をからめて酢豚風にしたやつ

ゴーヤチャンプルーの残り

 

最後の晩御飯

帰宅するなり、ドッと倒れこむ息子。

荷をほどき、愕然としている。

「弁当箱を学校に忘れてきた」

ぽたりぽたりと涙が床を濡らす。

聞けば緊張のあまり皆の中で食事が摂れなかったそうで

空腹は帰宅してから、のり弁で満たそうと思って慌てて帰ってきたそうで。

「取りに行ってくる」というが、電車で片道1時間の道のり。

この暑さだ、もう、いいんだ、いいんだよ、、と涙が引いていくのを待つ。

・・・にしても登校したのか・・・。

どんな思いで登校したんだろ?

わたくしを安心させようと思って1度きりのサプライズのつもりで出かけて行ったものの、弁当箱を忘れて帰宅してしまったので、再度登校する理由ができてしまった、

ってなことだろうか。

 

水筒の中味も朝のままである。

涙でゆがんだ顔の下に西瓜をチラつかせてみると表情がクチャっと緩んだ。

シャクっ、といういい音をさせて

夢中で平らげていく。

ああ、かあちゃんには、食べさせて応援することくらいしかできない。

また、君を置いて今晩、この地を離れねばならない。

君が選んだこの地で当初の志をサポートするために明日から働かねばならない。

しかし、君の心は当初の場所にはすでに在らず、

沙羅双樹の花の色のように変わりゆく。

食べることだけは心掛けて

冷静な心で損のない判断をしてほしい。

 

西瓜よ、どうか息子の身体をめぐり満たしておくれよ

春雨サラダよ、大葉の香り息子のアレルギーをおさめ精神安定に効果を奏しておくれよ

ジェノベーゼソースよ

生姜焼きよ・・・

 

どうかどうか

 

まだまだ続きそうだな(-_-;)

 

 

ハハノハコ

今夜、夜行バスに乗る

明日、一人暮らしのひきこもり息子のアパートを訪ねる。

 

なぜ、どうして、なんなの、どういうつもりだ

このやろう、うそつき ・・・・

 

いやいや

そうじゃない。うんざりするが

とりあえず肉でも食わせて水分補給。

風呂に入れて外に出せるなら医療に。

 

母親の種類  

  「あなたサ、男の子の母親でよかったヨ」「女の子をつぶしちゃうタイプ」

  昔、ママ友とカテゴライズしてつきあっていた種類の母親に言われたことがある。

 

母親の限界

  息子に対しては常に限界を感じてきた。

  しかし、そこを突破するしかないのが母親。

  だって母親ですもの

  母親行は終わらない文化祭みたいなもので

  新鮮で驚きと変化の中にあり、小さな小さな喜びの連続。

 

母親のピーク

  いつか至るのだろうか

  それは、しあわせのピークなのか

  それとも後悔のピークなのか

 

今、再びの緊急性をもってオープン、発動!ハハノハコ!

行ってきます