不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

母と梅仕事する

  • 【あと15分ほどで着きます】と

母にショートメールを送ると

【すぐに買い出しに行きたいので玄関に車を回してね】と

すぐに返信が来た。

実家の玄関までのアプローチは初夏の風情。

しばしインターフォンを押すのを忘れて見入ってしまった。

よくよく見ると、

そこかしこに生える草の一本ずつが

母に選ばれて残されたものであり、

そこに生えていなさい、と許されたものと見てとれる。

母の庭仕事は、凄いのだ。

いや、庭仕事に限らず母の仕事は早くてパワフル。迷いが無い。

 

この日も、ドアからバタバタと出てきて車に乗り込むなり

「砂糖と大根とパパの○○○と猫のごはんが足りないの。時間がもったいないからいちばん近いスーパーでいいから連れて行って」

と、何やら急いでいる様子。

しかしわずか5分の乗車で車酔いしてしまった母。

額から汗が流れ、顔面蒼白。

慌ててスポーツドリンクを買い摂取してもらう。

聞けば朝4時から庭仕事。海までウォーキングして帰宅してラジオ体操して朝食のあとは今まで庭仕事をしていた、と。

「今日はもう、車は乗りたくないわ。あなた買い物と一緒に帰って。ママは歩いて帰るから、じゃあね!」

と、サッサと歩き出してしまった母。

コメダ珈琲シロノワール食べるって言ってたじゃんかー、と、

遠ざかる母の後ろ姿に叫んでみたが、ペットボトルのスポーツドリンクをグビリと飲みながら片手をバイバイとわたくしに振り、横丁に消え去って行った。

 

買い物を済ませて再度実家に戻ると

母がスリコギで青梅を叩き割っていた。

今日は、カリカリ梅の甘いやつを作る日で砂糖が足らなかったそうだ。

塩で揉まれた大量の青梅の色は上質な若葉色。

それを一心不乱に叩き割る母の後ろで猫がニャーニャーと鳴いて近づいてきた。

 

あらま、アンタのごはん、買ってきたわよ、

 

スリコギ片手にわたくしの手から買い物袋を受け取りザラザラと猫にごはんを与える母。

と、炊飯器のアラームが鳴る。

 

あら、もう、こんな時間!パパにごはんあげなきゃ!でも、もう少し梅仕事!

 

猫〉パパ。笑

 

わたくしも加勢して一気に梅を退治して、めでたく父も昼食となった。

 

しかし、この大量の梅と大根の漬物はどうするの?と母に問えば

「老夫婦の2人暮らし。いつ何時近所の手を借りなければならない事態がやってくるかわからない。娘は仕事中はアテにならないし、来てくれたとしても2時間後じゃ待てないしヘタしたら死んじゃうわ!だからご近所に常によろしくお願いしますの気持ちを渡している」

と。

そうだよねー、、、

来週は、ラッキョウ仕事に取り掛かるという母。

「アタシも手伝うよ」、

そう、思わず言ってしまった。

で、今度こそシロノワール食べようねー

 

 

 

 

 

吉野の里から葛どとく

もうすぐ義母の三回忌である。

わたくしは、義母が好きだったものを知らない。

いや、知ろうとしなかったのかもしれない。

義母という存在を失ってみてはじめて

そんな嫁としての自分の態度を反省することとなった。

 

なんなら、夫の好きなものもほとんど知らない。

いや、知っていたような気がするが忘れてしまったのかもしれない。

 

日常は淡々と

しかし刻々と過ぎ去っていく。

 

日々の煩雑さの中で忘れてしまいがちなこと・・・

丁寧に支度をしておくこと

誰かを想い、そっと下ごしらえしておくこと

を、

やっておこう。

 

・・・ということで早速、天の義母に念を送った。

母様。母様の好きなものを支度することは既に叶いませんので

きっと母様はお好きであろう、という素敵で堅実で美味しいものをみつけましたので

三回忌に支度し、参列の皆様のもとへ届けます。。。

2月。

桜も観光客も全く居ない極寒の吉野の里で出会った

葛粉のお菓子です。

よろしくお願いします・・・。

今年コロナの恐怖から抜け出した吉野の町を彩ったであろう

桜の塩漬けも付けときます。

湯呑でフワリと花開くアレを、母様を想う時間として皆様にお持ち帰りいただこうと考えました。

 

 

と、いうことでネットを通じて菓子を注文したところ、

心が緑の吉野川へ連れ去られるような素敵なメールを頂戴した。

絵に描いたような五月の青い空

さわやかな風

瑞々しい緑。

ここ2~3年なかった初夏であります・・・

 

葛はデンプン粒子が最も細かいので免疫細胞の70~80%が住まう小腸に負担をかけず消化吸収されやすい食物であります。栄養豊かで自然のとろみを作り出すので飲み込みやすく、お身体を潤し温めます・・・

ですって!

 

そしてお店のご厚意でわたくしが荷物を受け取れる日取りに

到着するよう手配していただいた。

箱には

わたくしの名が手書きで記されていた。

箱を開けると

手包みの小箱が大切に並んでおり

クラフト紙が優しく隙間を守っていた。

それを見た途端、わたくしは不覚にも感情失禁落涙。

かつて、わたくしを育んでくれた那覇のオバアを思い出したのだ。

オバアからとどく荷は沖縄タイムス琉球新報がぎゅうぎゅう詰めだった・・・。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

 

想いはリレーされるもの。

吉野の里から大切に送り出された繊細な葛を

義母を想い集う皆様へ正しくリレーしていきたい。

 

 

 

 

 

 

松屋本店

https://www.yoshinoshui.com/

今回お世話になった松屋本店は

葛菓子、【吉野拾遺】で広く知られているお店。

今度はこちらでお醤油を注文したい。

 

息子、今日も無事らしい。

今月に入りウチの3人家族は、3拠点でそれぞれ分散して暮らしている。

 

何を食べて生きているのかなぁ…息子。

今朝も弁当持って出かけたのだろうか?

余計なお世話と知りながらLINEスタンプで、おはよう、と送信してみた。

 

ほどなくしては「昨夜の晩ごはん」として

意外に健全な食事の様子が報告されてきた。

ペペロンチーノ味の肉野菜炒め、と。

真似してみよう。

 

 

弁当はどした?

やめればいいのに、再度LINEをしてみた。

ほどなくして

「サバ缶とジャーポットに入れた味噌汁とメシ」

と、ぶっきらぼうに返信が来た。

 

送り出しまでのカウントダウン。火曜日からその日まで

火曜日。

なかなか起きてこない息子の部屋を覗くと

部屋の主は乱立する引越し荷物と大量のゴミの中にスペースをつくり、

キチンと布団にくるまって眠っていた。

 

この様子だと

出発までに荷造りが、間に合わない!

いささか過保護ではあるが

朝食後、荷の仕分けに加勢することにした。

 

アッという間に夕方になった。

 

水曜日。

仕事から帰宅すると乱立する荷物が玄関にまで溢れていた。

息子は今日届いたのだ、という電子レンジの取説を熟読しており、

ココらへんの機能を吟味して選んだのだ、と自慢げに語った。

「炊飯器も見てみない?」そう言って

ニトリで見本品だから安く手に入れることが出来たという炊飯器を携えて向かってくる息子を遮り急ぎ夕食を作りに取り掛かった。

すると今度は

「ま、お茶でも飲んでからご飯作ろうよ」と、コンビニの串団子を取り出してお茶を淹れ始め

「一緒にテレビを観る機会も、もうなくなるんだし。ま、ここに座って」と、ソファを指差す息子。

促されるままに、みたらし団子を食べているとインターフォンが鳴った。

近所のママ友が娘を伴って息子に餞別を渡しにきてくれたのだ。

お年玉袋に【どうしても、の時の新幹線代】と記されて片道新幹線のチケット代が入っていた。

 

木曜日。

朝からニンニクの香りで目が覚めた。

息子がローストビーフを焼いていた。

「ちゃんと食べてね」、だって。

夕方、ご近所の方が息子にタケノコご飯と海苔弁当を届けてくれた。

一人暮らしスタートの息子に「新天地での毎日の弁当の見本にしてね」、と。

 

金曜日。

仕事から帰宅すると既に夫が単身赴任先から帰宅していた。

慌てて夕食を支度しようとしたが、

思い付きで夫の大好物を買ってこようと車を走らせた。

モスバーガーのスパイシーチリドッグとオニオンリング

日々の切り詰めた生活の中では考えられないメニューであるが今夜は特別。

家族三人雁首並べて最後の晩餐。

息子はモスバーガーが包まれていた袋の中に零れ落ちたソースを丁寧にスプーンで掬いあげて堪能していた。

・・・もっと日常食として食べさせてやっておけばよかったかなぁ・・・。

 

土曜日。

雨の朝4時。ついに一睡もできずに朝がやってきた。

息子旅立ちの朝だ。

塩鮭の厚切りの切り身をカリッと焼いたやつと

ジャガイモとワカメの味噌汁は、かつて夫の実家で食べた義母の得意メニューの再現である。

三人無言で食卓を囲む。

車の夫とバイクで出発する息子は運行コースの最終打合せ。

岡崎SAで落ち合って、昼飯を食う予定らしい。

その間、線香を1本立てて旅の無事を祈った。

 

ほどなくして出発の時間となった。

息子のバイクサドルに雨で急ぎ散った桜の花びらがひとひら張り付いていた。

 

息子。行ってこい。

 

気を取り直して出勤の支度をしていると

ご近所の方が火打石を持って駆けつけてくれた。

「間に合わなかったかぁ・・・」彼女はそう言いながら

息子が出かけて行った方角にむかって火花を散らしてくれた。

 

息子が結んでくれた沢山の縁に包まれているなぁ・・・。

わたくしは心の不安定さを感じないようにしつつ仕事に出かけた。

送り出しまでのカウントダウン。最後の月曜日

出勤前、朝の慌しさのなか、

息子が小洒落ている様子に気づいた。

聞けば、今日、幼稚園時代からの友達が3人遊びに来るのだ、というではないか!

 

なんというレアな朝だろう…

息子には友達が居たんだ!

訪ねて来てくれるんだ!

  •  

え?早く言ってよ!冷蔵庫にも納戸にもおもてなしできるような食品は何も無いし。。。

そうだ!みんなで昔みたいに庭で火を焚いてカレー作りなさいよ。

テキトーに楽しく自由に。

じゃ、ね!

…と言って後ろ髪を引かれる思いでバタバタと出勤してしまった。

ホントは息子の友達に会いたかった!

息子が友達と笑っている姿を見たかった!

すごく!!

 

19時。

もしかしたら自宅はまだ、若者たちの活気でドッカンどっかん割れんばかりの賑やかさかも?ラーメン食べに連れて行っちゃおうかしら?と期待しながら帰宅したが既にも抜けのから…

部屋もキレイに片付いており、賑やかな痕跡は無かった。

4月からそれぞれ大学生になる若者たちそれぞれは金も無くて、

火を焚いたもののカレーを作るでもなく

七輪でコンビニパンを炙って食べながら暗くなるまで喋っていた、

のだそうだ。

 

あー。会いたかったな。

 

 

 

 

 

送り出しまでのカウントダウン。最後の日曜日

今週末、息子は進学先に向けて出発する。

だから今日は

我ら凸凹3人家族が揃って我が家で過ごす

最後の日曜日だ。

 

朝から墓参りに行き

帰路、手捏ねハンバーグの店で昼食をとり、

夫、息子、わたくし3人揃って

昔みたいに買い物をした。

 

夕方帰宅してみると

玄関脇に置いた水盆の中に花が浮かんでる。

「あと数日、穏やかな日々をお過ごしください」とメッセージが添えられていた。

夕陽のなか、

夫は車のメンテナンスを。

息子はバイクの整備を。

わたくしは久しぶりに庭の手入れをして過ごした。

 

囲んだ日曜日の食卓には

昔みたいな夫の笑顔があった。

 

家族が一緒に過ごすこと、って大切だったのかもしれないなぁ…

こんな日曜日を与えてくれた

お彼岸に、ご先祖様に感謝。

 

 

最後の参加になるだろうか?不登校親の会

4年間お世話になってきた、【不登校親の会】を卒業してきた。

 

突如として出現した不登校の息子を当初は許せず、

どうしたら息子は元通りになるのだろう?と、

そればかりを考えていた当時のわたくしは

あらゆる箇所に助けを求めた。

しかし、群れの中へ戻す方法は、どこにも見つからなかった。

その間、息子は

中学2年生と3年生を完全不登校

地方の高校に進学したものの馴染めず通信制高校に転校。

このたび、その学校を卒業した。

次の進学先に選んだ学校は、またしても500キロほどの距離があり

再び家を出ていくことになった。

 

わたくしの母は

孫であるところの息子を愛しすぎ、応援しすぎて疲れすぎたのであろう。

息子の進学にあたり、こんな言葉をわたくしに投げつけてきた。

「きっとまた、学業を投げ出して戻ってくるに違いない。そんなことになった時の喪失感を考えたらとてもじゃないけど『いってらっしゃい』とは言えない。無事に学業を修め、社会に出ることになったその時には『おめでとう』と、盛大に祝ってあげたい」、

だから、それまで孫には会いたくないのだ、と。

「お祝いが貰えるとか思って『婆ちゃん、会いに来たヨ』なんてふうを装って訪ねてくるかもしれないけど、こちらにしてみれば『なんのつもり?』『お見通し』だわね」、

「・・・にしても、一人暮らしをして自炊をしながら学業をするというのはリスキー。アンタ(わたくしの事)も一緒に移住しなさい」、

「アンタ(わたくしの事)の仕事なんて、何処に行ったってできる仕事なんだから」、と。

心配と憎しみが入り乱れる母の言葉は、まるで呪いのようだった・・・。

 

今回、親の会を卒業するにあたり、

不登校児の祖父母の言葉が呪いとなって、不登校児の親であるわたくしたちを苦しめているのではないか、という発言をさせてもらった。

同士を得て強く成長していく【不登校児の親】を相殺してしまう【不登校児の祖父母】の嘆き節。

 

それは、思い当たる、と、多くの親たちが頷いた。

子供の不登校には誰よりも理解者として寄り添いたい。

しかし世代間の差であろうか、祖父母たちにとって不登校は、まだまだ立ちはだかる壁のごとく丸ごと受け入れがたく折に触れて恨み節、嘆き節を投げかけられる。

その狭間で疲弊し、悩むのだ、と。

 

「kanimegaさん。卒業とはいえ、また、その先の話を聞かせにきて」、と、

会の親たちから声を掛けられた。

不登校児の親たちは不登校を選んで成長した子供たちが、

これからの人生にも紆余曲折が付き物であることを知っているから。

「また、よろしくお願いします」、と言って会場を出たわたくしも実は

3年前の春にも一度、会の卒業を宣言したのだが・・・。