不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

残念、ですか?!

息子が献血をしてきた。

16歳に至ったから出来る献血。久しぶりに子供の成長を実感出来たという思いが、セロトニンの分泌量を増したようで、イライラが途端に消失した。やがてオキシトシンが分泌されたようで、優しい幸福感で満たされていくのが感じられた。


わたくし、単純だなぁ。


日頃、子供自慢をしないわたくしだが、なんだか誰かに知らせたかった。

ので、母にショートメッセージを送信した。ついでに息子の血液型も判明したよ、と。

したらば、母からの返信が凄かった!

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【残念!!】って、なんだろ?

恐るおそる何故?と問うてみると、

【血液型B型の男で尊敬できる人物に出会ったことがないから。】、と。

【だから統計学的にいうと、ウチの孫も残念な男という訳よ。】


、、、なるほど。そっちか💦

献血の話題で、母のアタマは過去の経験則と結びつきアドレナリンで満たされてしまったのか…。

にしても、B型で残念とは!さらに

【B型の男なんて大嫌いだわ】。

我が夫もB型である。

ついでに母もB型なのであるが。

なんだか先程までの幸福感は何処へやら。

わたくしの脳内は一気にノルアドレナリン量が増してきて

うすら寂しい気持ちに急降下。


単純だな。

そういうふうに出来ているんだな、アタマのなか。

難しいな。

人の感性って。


むかし、お気に入りだった服を母に似合わないと言われた事があった。

その日以来、お気に入りはわたくしの中で似合わない服になり果てた。

母の言葉は浸透し易い。

しかし、わたくしは!


呼び込むぞセロトニンを!!!

息子を献血できる年齢まで安全に育ててきたのだ。






父を入浴させる。できるけど。だけど。

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実家へは電車で向かった。

 

 

夜勤明けの目に身体に優しい太陽が降り注ぐ。

座席を確保するや否やすぐに眠りに落ちる自信があったが

眠気を払う父の罵声が頭の中でリフレインし、思わず顔を上げた・・・。

 

前の晩に受信していた父からの留守番電話が凄かった。

『オマエ、ひどい人間だな。こんなに頑張っているオレを陥れるなんて』

『生涯呪ってやる。覚えておけ』

『自分がやっていることを、よぉおおおおく考えてみろバカヤロー!』

『偽善者ヅラしやがって』

『親に対して死ね、と、態度で伝えているつもりか。』

『甘い。オレはオマエには殺されはしない。』

『いっそ、オマエが死ね!死ね!しねぇえええええっ!』・・・。

 

つまり、真相はこうだ。

昨年の介護認定調査で。母を締め出した父は調査員とマンツーマンで問診を受けた。

歩けます、簡単な調理もできます、お金の管理もやっています、風呂も自立です等々、意気揚々と答えたらしい父。

当然のことながら正しく父の状態が伝わらなかったもので、介護区分が格段に軽くなった。

看護付き多機能の制度を使って、たくさんの助けを借りて生活をしている父と母の日常が総崩れしてしまう・・・となれば介護区分を急いで見直す必要があった。

ところが介護区分を自分の成績表だと勘違いしている父は、これが気に食わない。

『せっかく俺の努力が認められて支援に上がったのに』と鬼の形相で怒りまくり、

介護拒否を始めたのだ。

 

幸い認定見直しがなされ、元通りの介護度に納まったのだが、父の怒りの矛先は完全にわたくしに向けられたまま、介護拒否は続いている。

血糖コントロールインシュリンと投薬の管理。

カテーテルバルーン留置の排尿排便の清潔の管理。

制限食の管理が

当然のことながら家族にのしかかってきた。

 

さらに父は続ける。

『よく考えてみろ。ママも歳だしオマエが拠点を移してオレの世話をするのは当たり前のことではないか』

『長女だろ?そういうつもりでオマエを育ててきたんだから、それが真っ当だ』

『息子も高校を辞めて家に居る、夫は単身赴任、オマエが家にいて何をするでもないじゃないか、オマエに何がある?少しは役に立て』

『会話もできない老人が集うデイサービスの中に置き去りにされて一日を過ごすオレを憐れんでくれよぉ』

・・・。

一見正しいと思われる要素を含んだ巧みな話術で押したり引いたりを繰りしながら、わたくしの同居を促す父。

病気とはいえ、なかなか許しがたい。

しかし萎えるのだ!ツボに刺さるのだ!破壊力がある言葉の持ち主なのだ!

 

わたくしより少し年長のケアマネージャー氏がこう励ましてくれた。

「今、親を理由にあなたがお仕事を辞める必要はありません。お仕事、続けてくださいね」

 

在宅医療の医師が、薄笑いしながら言った。

「あなたが在宅したとて、お父さんの病態が良好になるワケではありませんから」

 

地域包括センターの相談員が言った。

「お父さん。たくさんの弱いところを抱えて家族のために働いてきたんです。他の方と比べられたり較べたりして、きっとたくさん悔しい思いをしてきたと思いますよ」

 

そうなんだよねぇ・・・。

そうなんだけどねぇ・・・。

自宅から電車で90分の実家は日々のケアを行いに通うには、やや遠い。

すっかり午後の日差しにになった父の居室に到着すると、鬼の形相の父が髭だらけフケだらけ、目ヤニだらけで待っていた。

「おお、遅かったじゃねぇか!風呂だ風呂!」

そう強がりながらふらつく足元で浴室に向かう。

父はかれこれ5年も

裂けた鬼頭の先に管を装着し尿パックを接続している。

その気質から手術はおろか、入院もできない。

「悪いと思ったからよ、尻はよく拭いておいた」

最初のころこそ気兼ねして下の清潔を子供であるわたくしに託すことは無かったのだが

既にその恥じらいも消失したのかと苦笑いがこみ上げる。

乱暴だ雑だクソだ、やりやがったなチキショーだのと、

父からいろいろ罵声は出てくるが、浴槽に背負い込んでやると気持ちよさげに

「ありがと」と呟いた。

「またお願いします」と言いかけた父の言葉を遮って

早くデイサービスに通ってくれと懇願してしまったバレンタインデーの夕方であった。

 

 

震災の海に青い路

あの子、のことを書いたら

この子、のことも書いておかねばならない・・・。

 

kanimega.hatenablog.jp

 

  東日本大震災の後に引っ越してきた、この子。

 

この数年、この子とは3月11日を同じ職場で過ごしてきた。

大丈夫かなぁ、と14時を過ぎると彼の表情をチラ見する。

どこふく風でもくもくと仕事を続ける彼が、

時折、自らの手のひらを握って開く動作を寂しげな瞳で見つめているのを確認しながら。

 

大切にしてきたものは、あの日およそ流されてしまったのだと言い、

離れざるを得なかった故郷について、それ以上のことは言わなかった。

だから、周囲もわたくしも、それ以上のことは聞こうとはしなかった。

ただ、彼は、きちんと泣いて悔しさとか、理不尽を誰かと共有できているのか?それだけが気になっていた。

 

先日、たまたま夜光虫の話題になり、それがあの子の被災の日の記憶に直結してしまった。

「信じてもらえないかもしれないから誰にも話したことが無いんですけどね」、

そう切り出した彼の話しは津波で流された車から這い出し、泳ぎ着いた家屋の二階で気を失ったところから始まった。

「気づくと夜になっていて、窓の外はまだ海に繋がっていて、その海が青く光っていたんです」

「帯状に青く。よくよく目を凝らしてみると青い光の先に自宅があるのが分かって。ああ、この距離なら泳ぎ着けると考えて、海は冷たいんだけど、青い光に向かって、また泳ぎ出ることができた」

青い光は、流れ出た油だったんだろうか?匂いもなく、ただ真っ直ぐに自宅の屋根の方角に続いていたのだという。

「泳ぎ着いて2階の部屋の窓ガラスを外して中に入ると、そこは浸水していなかったから着替えられて。階段から一階を覗いたら、不思議なことに前日に買い出ししたミネラルウォーターの箱が津波の勢いで押し上げられていたんです」

「口の中は、喉まで泥が入り込んでいたから。ミネラルウォーターでうがいが出来て助けられた。そこで、やっと、生き残ったという実感が感じられた」という。

同時に祖父母を救えなかった自分を悔やむようになった、という。

車の中に同乗していた祖父母は、車外に出ることを拒み、

「爺ちゃんと婆ちゃんは、このまま流されて行くから、オマエは泳ぎな」と毅然と言い、浸水しながら流されていく車から引きずり出すことができなかったという。

遺体は水が引いた日に車ごと発見したのだ、という。

 

この子の時間は、10年を経ようとしている今も止まったままだった。

あの日、のことを悔やんで苦しんで自分を責めて。

あの日、もしも別の行動が出来ていたなら、と遡って唇を強く噛む。

どうしても立ち返ってしまう、というこの子の記憶の前に他者の言葉は何の効力も無いだろう。

ただ、時間を経て、経験をやっと言語化できたこの子と今日、こうして対話できるのは、

孫を思う祖父母の強い意志があったから。

全てを呑み込んだ絶望の海が、この子には青い光の路を示して進め!と命じたから。

そう理解した。

 

極寒の海に泳ぎ出た、この子の経験にに学ばねばならない。

そして、若いこの子の未来にも、あの子以上の幸せを、と切に願っている。

 

ところで震災の日に青い夜光虫が出た、という話しは、他にあるだろうか?

コソッと検索してみたが見当たらなかった。

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自分のために働いているのだ

仕事は、家族と共に生きていくための手段だったはず。

だけど最近なんだか仕事をしていると、申し訳なさでいっぱいになるのだ。

 

〇実父の世話を母と介護保険のルールに託して、自分は日々の支援をしていないこと。

〇この一年、さまざまな理由を見つけて夫の実家の両親の世話から一切手を引いてしまったうしろめたさ。

〇再び引きこもろうとする息子を牽引していくパワーが貯まらないうちに、息子の旬が瞬く間に目減りしていくこと。

〇できる限りの労働で家計を援護射撃するつもりでいたが焼け石に水

〇しかも家事労働が行き届かず、赴任先から帰宅した夫は週末、無言で掃除をしまくっている💦

 

働く時間を増やしたとて、家族のハッピーは増えないことに気づいた。

 食卓を家族と囲む機会が減ったのは、コロナのせいばかりではない。

わたくし自身が今、家族に顔向けができない心理状況なのだ。

働けば働くほどにダダ下がりする自己肯定感がますます自分をみすぼらしくする。

 

だめだこりゃ!

ひとつずつ足枷を軽くしていかなければ潰れた中華まんじゅうから飛び散る餡のようにドロドロのダクダクしたものがわたくしからはじけ出てきそうだ!

デトックスが必要だ。

 

まずは、息子だ!コイツのことが、いちばんわたくしの中で苦い!

・・・と思い、息子が【9歳の壁】の前に立ち尽くした7年前からお世話になっている臨床心理士の先生に連絡をした。

「そろそろ電話がかかってくる頃だと思っていましたよ、お母さん!」

そう軽やかに笑う電話の先の心理士先生の気遣いが嬉しかった。

 

次に自分のガス抜きだっ!このままでは心が酸っぱくなってしまいそうだ!

本屋へ行こう。そして欲しいと思った本に手を伸ばして好きなだけ購入してみよう。

帰りに自分の保険証を使って遠慮なく病院を受診してこよう。

 

仕事は自分の成長のために日々を重ねていく場としてキープしよう。

時間をお金に換算するのはやめよう。

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つづきは、それから。

池中玄太が寿三郎になったぁ~

ママがポンコツになってきたから、お前が助けてくれ。

・・・父がわたくしにそう告げる。

それが一番。それが真理ではないか、よく考えてみよ、と。

俺は、面倒をみてもらう。お前に。そういうつもりでお前を育ててきた、と。

 

かつて、わたくしの友達が家に遊びに来ると必ずカットインしてきてカメラを向けた父でった。たいして腕は良くないのに、キャップを後ろ前に被りカメラを構えるポーズは、

当時の人気ドラマ『池中玄太80キロ』の主人公そのものであった。

今はもう、カメラどころかテレビの録画ボタンも押せないお爺ちゃん・・・。

この日も、DVDが再生できないから来いと呼び出されて駆け付けたところであった。

 

池中玄太80キロDVD-BOX I

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  • 発売日: 2004/10/21
  • メディア: DVD
 

 

で、昨夜、父にンなことを言われ、実家から帰宅した。

なにげなくテレビをつけてみると西田敏行がベッドに横たわっているシーンが映し出された。

思わず口にしていた缶酎ハイを噴き出して爆笑してしまった!

西田敏行っ!!さっき、「じゃあ、考えるわ」と伝えて別れてきた父の顔にソックリだ!

 

ヤなドラマが始まったものだ。やれやれ・・・。

26年前の今日を、知ったかぶりしたくない

あの子は、素材的にいったら熱伝導率が高い人なんだと思う。

側に居ると、知らず知らずのうちにあの子のペースが伝播して朗らかになれる。


例えば、クラス対抗リレーで。

前走者がバトンを落として抜かれていく。捨て鉢になった次走者がダラダラ走りビリに。しかし、アンカーのあの子は手にしたバトンを高らかに突き上げ、ゴボウ抜きをやってみせた。バトンを落としたメンバーの心を救済し、ダラダラ走ったヤツを無言のうちに罰したのだ。

そういう事ができるあの子を、人間として好きだった。


転校してしまったあの子と、大人になっても時折近況報告していた。


もう26年も前の事になる。

朝、TVをつけると、あの子が住む街が崩壊し、火の手が上がっていた。

前日、旧友たちと宴があり、あの子も上京してきていた。今後もがんばろうとグラスを打ちつけて笑いあったばかり。

あの子は夕方の新幹線で帰っていったはず。なのにあの子の街が燃えている!

呆然である。


阪神大震災

爆撃を受けたように崩壊している街をヘリコプターからの俯瞰映像で観るのが苦しくてTVを消して過ごした。

それからの数日、ラジオで読み上げられる震災死者の名をラジオから聞き漏らすまいと耳を傾けて過ごした。

オフィスの窓からは、東京駅から出発していく新幹線が見えたのだが、その普通すぎる姿が憎々しくてならなかった。

数日後、旧友の1人から、あの子の無事が知らされた時には、ヘナヘナと力が抜けてしまった。

「避難所で手伝ってるらしいよ」、そうか、あの子らしいね、と胸を撫で下ろしたのだった…。


多くを語らないあの子だが、後日、あの日、瓦礫から突き出る手を掘り出し、いくつかの命を引きずり出す事が出来たのだとだけ教えてくれた。

壮絶な体験は、当事者でなければ同じだけわかってあげられない。

俯瞰映像の下で命が燃えてしまいそうになっていたのだ。その事実を、聞いただけで知った事にしてはいけないのだ。


「父さんになりなよ!ぜったいに向いてるから!」と。

「息子でも恋人でも夫でもなく、お父さんが1番似合うよ!」と。

結婚が遅すぎるあの子に、たまに開かれる同窓会でお節介な言葉を投げかけてきたが、ホント、余計な言葉だったよな、と至極反省している。


そして近年、あの子が父親になったらしい!と嬉しい情報がもたらされた。

あの子を思うだけで熱伝導で、こちらまで嬉しかった。

さぞ朗らかな家庭であることだろう。

わたくしは、あの子の正義を今でもやっぱり尊敬している。

どうかどうか、沢山たくさん幸せに…


淡々と

我が夫には「いただきます」と言う習慣が無い。
「ご飯だよ」と声掛けする頃に着席し、全てが膳に並ぶ前に食べ始める。これが21世紀スタイルなのかもね、と、眺めて過ごしてきたが、いまだに慣れず、寂しい。
一方で「ごちそうさま」は言う。食卓を囲む他メンバーがまだ食事中だろうがお構いなし。箸を動かし腹が満たされたらば、そう言って席を離れていく。
ついでに言うと、「ただいま」と言う習慣も無い。
これについては息子からも失われたワード。だって、ほら、ウチの子はアレだから、在宅がほとんどで…。

ところで、わたくしは昨年秋からフルタイムで夜勤ありの仕事に転職した。
これをきっかけに「いってきます」と「ただいま」を言わずに出勤と帰宅を繰り返している。
在宅息子に「いってらっしゃい」と言われるのは腹立たしいし、
「おかえり」というレスポンスが無い場面もまた凹むのだ。
だから、といって長年身体に刻みこまれた挨拶の習慣を言わずに、ぐっと呑み込むのは実に苦しいものだ。
これが当たり前にできるようになった時にはわたくし、人としてどうなってるんだろ?

だんだんと心と家族が壊れていく…?

否!壊すも壊さないのもわたくしのテンション次第に違いない!
別所哲也も言っているではないか。ご機嫌は自分で作るもの、と!
今日から復活させてみようかな。
では早速、今一度の、いってきます!

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