不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

荷をほどく。

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「よろしくお願いいたします」、そんな言葉を添えて息子のことで頭を下げたことは何度かある。

しかし、

「申し訳ありませんでした」と頭を下げたのは、おそらく今回がはじめて。

 

結局、息子は進学した先の高校を退学する決意に至った。

易々と手に入れた学生生活ではない。

努力し、準備し、そして自らの居場所として確保した大切な進学先を、

受け入れ、見守り、期待を寄せてくださった学校関係者の方々を、

手放してしまうのだ。

 

「退学という選択はありえない」とする父ちゃんを説得できずに家出。

 

kanimega.hatenablog.jp

 言葉ではなく行動で捻じ伏せて退学を認めさせた。

認めさせたと引き換えに息子は信頼を失った。

「分かり合えている、なんて思ったことないから不足は感じない」と言う息子。

「退学の手続きを挨拶がてら1人でしてくる。荷物は宅急便で送る」と強がっている。

もう高校生だし、それも良かろうとわたくしも一瞬思ったが

コロナで日本中が引っくり返りそうな時期の県跨ぎ新入生を受け入れ、

生活ごと守ってくれた学校と寮、教育委員会に対して

心からの感謝を一言伝えたかった。

・・・なので、この1か月で2度目の長距離弾丸ドライブを決行することにした。

 

東名

新東名

伊勢湾岸道

新名神高速

山陽道

瀬戸中央道

高松道・・・長い。

 

途中、サービスエリアのシャワーを利用してリフレッシュし、

瀬戸大橋で朝日を見た。

しまなみ海道で帰れば四国・橋の道コンプリートである。

 

こんなにときめかないドライブは生涯で2度目!

あれは・・・まだ息子が誕生する前に夫と出かけた北海道キャンプ。

初日から発熱した夫&追い打ちをかけるように続けざまに送り込まれる台風!

二度とこの人とは旅はしない・・・そう誓ったアレ以来だ。

そして息子とも、今日以降旅をすることは無いだろうという予感。

カメラを向けてもフレームから外れる息子。

それでなくとも朝日の逆光で真っ黒なシルエットなのに。

そんなにわたくしがイヤなら、此処に居れ!と、朝っぱらから大ゲンカである。

悔し紛れに事の顛末を知る友人にLINEで写真を送信する。

すると朝っぱらにもかかわらず、すぐに返信が・・・。

「Kanimegaちゃんの息子らしい選択。」

「Kanimegaちゃんの息子だもの、普通の人生はセレクトしないでしょ?人生はエピソードがどんだけあるかで豊かさが決まるのよ!あたしたち、クソババアになってから糞エピソードをぶちまけて酒くらう約束じゃん?老後は長いの。まだまだネタ帳に付けて貯めておかないと!尽きたら負けだからね~」

 

なるほどね・・・。

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そこから心を立て直し、スダチ入り冷やしうどんを朝食に食べ、

寮の前に到着した。

 

わたくしは、お礼を言いに来たはずなのに寮母さんの顔を見たら開口一番

「申し訳ありません」と詫びの言葉が飛び出してしまった。

だって、寮母さんがあまりにも心配そうな顔で玄関に飛び出してきたから・・・。

息子は、この小さくて細い寮母さんの羽の下に守られて寮生として生活してきた。

だからありがとう!なのに、

アホになったかのように、ごめんなさいしか言えないわたくし。

そのやり取りをクールに眺めながら息子は着々と退寮作業を進めていく。

手際の良さ。

入学式前日に荷を収めた部屋には一人でもがき苦しんだ痕跡も残されていた。

正露丸ビオフェルミン錠剤の瓶。

トイレにこもっていた、という理由で連絡がつかなかったことがあった。

自学していたと思われる高卒認定の教科書。

壁には、退学後のスケジュールが綿密に書き込まれたメモが貼られていた。

途絶えた日記のページには【あと何秒此処に居ればいい?】と記されていた。

わたくしが送った真空パックのご飯やレトルトカレーは未開封のまま。

しかし、婆ちゃん(わたくしの母)が送ってくれたという鳩サブレーの缶の中には

包み紙や個別包装の袋までが丁寧に収められていた。

「捨てられなかった」のだ、と言う。

そういう子である・・・。

 

次いで教育委員会に退寮届を提出しに行く。

入学前から何度かお話をさせていただいた担当の方から教育長をご紹介いただき、

この期に及んで初めてお話をさせていただく機会を得た。

ここでもわたくしが口火を切り

「頂戴した環境を活かせずに去ることになりました。申し訳ございません」

と、やってしまった。

息子も黙って頭を下げた。

まぁまぁ、と促され親子並んで応接室の皮張りのソファに座る。

君は、此処で何を見つけて、此処ではない何処かへ去っていく決意をしたんだい?

そう聞かれ、息子は率直に的確に思いを口にした。

その先はわたくしの助け舟も言葉も不要。

教育長と息子との間で豊かな穏やかな会話が続いた。

「それならば良かった。君は遠まわりをするんだね。色々な景色を見ながら」

「今度は自分の運転で此処へ帰っておいで」

そう言葉を掛けていただき、

息子は「はい」と答えつつバイクのハンドルを持つ腕の構えを見せた。

 

そして最後に学校へ。

先月、三者面談でモッタイナイほどのお褒めの言葉を頂戴したばかり。

なのに今月は退学の手続きを依頼。

面談室で担任の先生と息子との間にしばし沈黙が流れる。

先生も息子もガチで向き合い視線を外さない。

「短い間でしたが、お世話になり、ありがとうございました」。

ズバリを紡ぎだし、礼をする息子。

さらに沈黙が続いたあと、先生が静かに言葉を掛けてくれた…

「あなたが、その決断をし、今を手放すというなら進みなさい」

「だけど、あなたがこの先、どうなったか、という話くらいは聞かせに来て欲しい」

「私はずっと県のどこかで教員をしているだろうから探して知らせに来て欲しい」と。

息子を取り巻く環境の豊かさに改めて感謝しつつ、

もう、わたくしの手引きは不要だろうと感じ、黙って頭を下げた。

 

そして、息子は、もう高校生として此処に居ることは出来なくなった。

 

帰りのドライブは往路に増して心が弾まなかった。

しかし生涯で第2位のときめき無しドライブではあるが、

夫と出かけた北海道ほどのものではなかった。

しまなみ海道で見た夕日は、

入学式の後に逃げても逃げてもついてきた春の夕日のように粘着質ではなかった。

まさにつるべ落としのようにストンと消え、やがて闇が瀬戸内海を覆った。

息子は事切れたように助手席で眠りこけた。

荷物でいっぱいの後部座席の側へシートを倒す余裕が無い。

わたくしは、走れるだけ走り、自宅を目指した。

13時間。

わたくしも、もう若くない。これが最後の弾丸ドライブだろう。

次回、四国を巡る日は、往路1泊、現地3泊、復路1泊で準備したい。

そう計画しながら荷をほどいている。

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