花が枯れていく様を目の当たりにしたのは8歳の春休みの事だった。
大好きだった祖母と出かけた春休みの遊園地のベンチで
頭痛を訴えた祖母。
「すぐに良くなるから。これを飲んで待っていてね」と手渡された
三ツ矢サイダーの缶。
しかし突然祖母の身体が前にのめり、
支えきれずに祖母は花壇の中に倒れてしまった。
救急車で病院に搬送される道すがら
救急隊員に再度手渡された三ツ矢サイダーの缶を抱きしめて抱きしめて病院に向かった。
一週間後、祖母は十字架が付いた小さな箱に納まって帰宅した。
遺影を彩る生花のなかに、わたくしが選んだ黄色いバラが飾られていた。
日ごと萎れて衰えていく祭壇の白い花たちを間引いて間引いて
やがて初七日には祖母を愛した人たちが持ち寄った赤や黄色、
咲き始めた桜の枝などが遺影を縁どっていった。
まるで、祖母が倒れた花壇のようだナ、なんて呟いたら父が静かに涙ぐんでいたっけ。
時間とともに受け継がれるもの、癒えていく心の化身のように花を感じた。
大人になって蜷川実花氏を知り、また違う花のパワーを知ることになった。
先日、氏の作品に触れる機会があったのだが
若い来場者がスマホで会場を撮りまくる姿と、
氏が発信する、生花ではない、永遠に咲く花の世界に気圧されてしまい、
その場をどう楽しめばよいのか、が解らなかった。
転がり落ちた三ツ矢サイダー、
花壇、
枯れ行く花々の記憶。
我が父は、大好きだった祖母の子で、
この春もますますお元気。まだまだその命は枯れそうにない。