不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

中村憲剛選手のこと

憲剛選手を初めて見たのは12年ほど前のことだったと思う。

 

川崎フロンターレの練習場。

息子とわたくしは、選手が去った広い芝の上を修繕するグラウンドキーパーの作業を見ていた。

毎日、プロ選手が駆け抜ける練習場である。

遠目では上等な緑のベルベッドに見える芝であるが消耗は大変なことであろう。

グラウンドキーパー氏の作業は大変緻密で、ひとつひとつ手触りを確かめるようにしながら小さな芝のほころびを修繕していく。

それにしても、練習場の芝は広い!いつ終わるとも知れぬ作業である。

夏の日盛りのなかである。縁の下の力持ちの仕事というのは尊い・・・。

息子と練習場を後にし山道に差し掛かった時、

前方から中村憲剛選手がジョグでやってきたのだ。

 

笑顔に少年の面差しを残した青年が、わたくしたち親子とすれ違った・・・。

 

当時4歳の息子にはその衝撃は大きかったようで、

その日を境にシンケンジャーになりたかった幼児は


シンケンジャー 変身

 

中村憲剛選手になりたい」と言うようになった。

 

以来、ルールもままならないわたくしであったが、息子を連れて等々力スタジアムへサッカー観戦に出かけていくのが楽しみになっていった。

観戦マナーはサポーターの皆さんに倣い、

タオルを掲げ、振り回し、共に歓喜した。

ある時は台風の中、息子と揃いのカッパを着てずぶ濡れになりながら。

普段、おとなしく、テンションの低い息子が憲剛選手がゴールを決めた瞬間に隣席のオジサンに抱きかかえられて喜んでいる様に胸が熱くなったり。

母と子の思い出をたくさん与えてもらった。

 

そんな憲剛選手が引退する。

シルバーコレクターと言われ、優勝になかなか手が届かなかったあの頃のチームを、攻守ともに圧倒的な強さを誇るチームに成長させて・・・。

選手ばかりではなく、スタッフ、サポーター、そしてフロンターレに関わるすべての人に対する感謝と愛を喜びの言葉に代えて・・・。

 

憲剛選手のインタビュー記事で印象的な言葉がある。

目の前のことを一生懸命にやる。

自分に期待する。

可能性に蓋をしない。

きっと、これからの憲剛選手も、↑そうあり続けることであろう。

わたくしも、胸に刻んでいる言葉。

息子の胸にも焼き印してやりたい・・・。

 

ピッチに立つ彼の姿を目に出来ないのはさびしいけれど、

これから先も、きっと彼の笑顔は変わらないだろう。

活躍を楽しみにしていきたい。 

そして、携帯の待ち受け画面にさせてもらっている憲剛選手と息子の2ショットも、変えるつもりはない。。。

 

そして、トミカフロンターレラッピングバスも買おうと思う。