30有余年も昔の話になるが、
高校に入ったら、硬式テニス部に入ろうと決めていた。
しかし入部に際してはラケットやシューズ、ジャージ類やポロシャツと、
たくさんの道具を準備しなければならず。。。
貯金を切り崩して制服やら何やらを準備して
わたくしの高校生活をスタートさせてくれた両親に
「もっと!」と言い出せなかった。
そこで閃いた!アルバイトをして自分のお金でラケットを買おう!
そして辿り着いたデニーズでアルバイトを始めたものの
週末だけのシフトではなかなかラケット代を蓄えることができなかった。
やがて夏がやってきて、クラスの女子が新人戦で輝かしい成績を収める頃には
わたくし、すっかり硬式テニスの夢を諦めてしまった。
これまた40有余年も昔の話になるが、
小学高学年に差し掛かったわたくしは、古い古い自転車に乗っていた。
自転車のカゴにマリちゃんの写真が貼りついており・・・それがたまらなくイヤだったのだ。
まだ乗れるから、と渋る両親を説得し、誕生日に新しい自転車を買ってもらう約束を取り付ける。
どんな自転車がやってくるだろう???指折り数えてその日を待っていたことを覚えている。
だがしかし!
誕生日に量販店から届いたわたくしの新しい自転車は
ちがう!ちがう!
これじゃない!そうじゃないよ!!
当時とっても流行していたハンドルのギュッと伸びたKAMAKIRI自転車が欲しいとあれほど伝えたはずなのに、ちょっと昔の中学男子が喜んで乗っていたであろう自転車を買い与えられたのだった。
ドレミ真理ちゃんからのフラッシャー付き自転車・・・。
どっちもイヤだった・・・。
「お前は男みたいだから丁度良い」と満足気な父の横で
絶望を味わった。
中学2年までフラッシャー付き自転車に乗っていたが、スポークにスカートがからんでよくコケたっけ・・・。
時は流れたが、自転車とラケットの記憶は、わたくしの深部に黒いシミとなって残っている。
だもので息子が欲しいものを「欲しい」と言った時には
なるべく希望に沿うものを買い与えてやりたいと心底思ってきたし、
親の財布の心配もさせたくないと強がってきた。
おかげ様で
控えめじゃなく、欲しいものにはきちんと手を伸ばす少年に育ったウチの息子!
このコロナ禍であえぐ我が家の家計を知ってか知らずか
ラケット3本買いました。送金よろしくお願いします
とか
自転車やっぱりどうしても今の自転車では山道を上がれません。
中古で状態の良いのを買いたいのでお金を貸してください
と
四国の山の中の学内寮からLINEしてくる。
三つ子の魂百まで。
ひとちゅじゃあ、やっぱり足らないらしい。