不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

海を渡るハピルの記憶

20世紀の終わりの頃、

自転車で一人旅をしていたわたくしは、雨季のような冬の石垣島で足止めを食らい、

港の前の図書館で本を読んで過ごしていた。

 

辻の華―くるわのおんなたち (1976年)

辻の華―くるわのおんなたち (1976年)

 

 

 

沖縄の骨

沖縄の骨

 

 竹富島の「こぼし文庫」へ行ってみよう。

それから、お料理上手なお母さんが居る民宿に泊まってお料理を習ってみよう。

2冊を読み終えても止まぬ雨の日々にしびれをきらしたわたくしは、

まず、小浜島うふだき荘に向かった。

 

1月の小浜島はキビ狩りの最盛期を迎えていて、

うふだき荘を出入りしているのは観光客よりも内地からの援農生が多かった。

宿泊客だったわたくしだが、宿のお母さんについて台所に入り込むうちに短期ヘルパーに昇格していた。

サーターアンダギー、

ジャスミン

サラダをふわふわに盛りつける極意

便秘には芋の蔓を煎じた一杯

炒める

揚げる

洗う洗う洗う・・・

目まぐるしい台所でお母さん(信子さん)は

「お料理レポートしたいならキビ狩り終わってから来なさいね~」と、

カラカラと笑っていたっけ。

 

そんな日の夕暮れ。

小浜島最大のリゾートホテルで、平田大一氏のライブとトークショーが行われた。

大一氏は詩人であり、舞台演出家であり、うふだき荘を拠点に【キビ狩り援農塾】を主宰する聡明な人である。この日のお話しが、ハピル(蝶)であった(沖縄フリークの人々に、この話をすると思い出がリフレインするのか、涙する人のなんと多いことか・・・)。

 

周囲6キロの小浜島

進学、あるいは職に就くにあたり、または結婚により。島に育った者は成長の過程で都会に出るのだという。

大一氏が小浜島から東京を目指す朝、氏の祖母が静かに語り掛けた言葉が

「ハピルになれ」。

島には海を渡る蝶が生息している。

冬が来る前に蝶は北風に乗って海を渡り、春にはまた海を渡り戻ってくるのだ、と。

海は島を隔てるものではない、どこへでも続く道なのだ、脆弱に見える蝶も渡る道。

「進め」、と。

 

島に生きる覚悟とは、どんなものだろうか?

内地で生きてきたわたくしには計り知れないと思った。

 

さて。時は廻り・・・。

わたくし。

この度、息子に「ハピルになれ」と伝える役回りを担うことになりそうだ。

その前にまず、高校受験である。

息子の願い、かなしょうり!