不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

この家で独居か!さらに働かねば💦と覚悟した日のはなし。

f:id:kanimega:20180327114638j:plain電車に乗って横浜まで30分。

東京まで60分という場所で育ったわたくしと

進学のために地方からやってきた友達とは覚悟が違っていた。

 

・・・歳の離れた兄が実家を継ぐだろう。

だから私は卒業したら東京で働いて結婚して・・・実家にはもう帰れない。

 

・・・実家がある田舎には何もない。

ぜったいに東京で成功して田舎にはもう戻らない。

 

・・・入学試験の前日、猛吹雪で飛行機が欠航になった。

急遽父が決死の覚悟で車を運転してくれて新幹線に乗せてくれた。

この距離を、父の思いをある意味背負って生きていく。

 

同じ年齢とはいえ、彼女たちは家から送り出された。あるいは巣立ってきた。

既に彼女たちには「ただいま」と帰っていく家は故郷であった。

 

実家から通えて、そこそこ都会で

帰りにオシャレな街に寄り道できる学校であることを大前提に進学した自分とは

比較にもならなかった。

 

今でもその延長。

今日も実家支援に出かけたつもりで帰りには

大量の総菜を母に持たされて帰路に着き、

わずか120分後にはそれを皿に並べて息子と

「婆ちゃんのお赤飯は美味しいね」などと言いながら食べている。

空になった総菜の弁当箱をまた来週持って実家に行けばきっとまた、

往復書簡よろしく

豆の煮たのやら生姜の漬けたのやらで満たされて持ち帰ってくることになるだろう。

そんな距離。

実家とわたくしとは。

 

 

ところで。

息子が中学の卒業式に出席して証書を自分でゲットしてきた。

式には、わたくし参列しなかった。

その朝、「いってらっしゃい」と久しぶりに息子の背中に声を掛け、

わたくしは、そのあと久しぶりに自分で戸締りをして出勤した。

この2年ほど

そんな日常的な当たり前のことをやってみたかったのだ。

 

自転車のペダルに足を掛けてから振り返ると

朝日が洗濯物を包んでおり、普通の朝の風景の中に我が家が在った。

「いってきます」が思わず口をついて出た。

 

来月、息子はこの家を850キロほど離れ新しい生活を始める。

家を離れるにあたり

かつての学友たちほどの強い思いは彼に宿っているだろうか?

いや、少なくともわたくしよりはその面成長していることだろう。

 

そしてここが息子にとって「ただいま」と帰ってくる故郷になる。

 

死守するためにも、もっと気合をいれて働かねばならない。

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