大晦日、買い物中のスーパー。父からの着信で携帯が震えた。
昨夏に機種変更して以来、父はメール、電話ともに操作方法に馴染めず。
以来すっかり疎遠になっていた父からの電話。
かるく舌打ちしながらレジを離れて電話をつなぐ。
・・・変調だ。
「よし、わかった。すぐ行く」。
即行動が身上だ。
わたくしは、手にしていた鱈を売り場に戻し、宇和島みかんの箱を一つ買い、
車を実家へ走らせた。
行ったところで症状が上向くことは無いのだけれど・・・。
無精髭の父はいつもベッドに斜めに寝ている。
居室は午前中の日差しに満たされているのに暖房が付いている。暑苦しい。
尿路感染症だろうか。寒いと言う。
「わるいね」
そう言いながら弱弱しく片手を挙げる。
風呂に入る時以外は水に浸さない手は、つるりとして偽物のようだ。
「今日は大晦日だよ。昔は除夜の鐘つきに連れて行ってもらったよね」。
そう話しかけてみたが、目をつぶったまま父は大儀そうに手のひらをひらひらとさせた。
・・・辛いから、あっちへ行って・・・。
母は忙しそうに鍋を2つかけながら掃除をしていた。
秋以降、へバーデン結節が大層痛み、箸を持つことができない。
ダイソーで購入してきたトングで器用に鍋の中身を天地返し。
ハンディモップで床を拭く。
「この忙しい日に何しに来たの?」
・・・。毒舌なのが母の真情。本気でそう思っているからこそ突き刺さる母の言葉。
この母の前でわたくしは、いつも真実を言いそびれてしまう。
「みかんが安売りになっていたから届けに来た」、と、昨日も。
・・・最近のみかん箱は5キロ。昔は10キロ箱だったような記憶がある。
幼い頃の年末は食後に母と妹とわたくし、テレビを眺めながらみかんを食べたものだ。
他愛のない会話の流れのなか、母のご贔屓の俳優にちょっとでも否定的なコメントをすると大しっぺ返しを食らう。
「あんたは、人の意見になんでもかんでも噛みついて。イヤな人間になったわね!反省した方がいい!」
母は聡明で美しく、厳しい人だった。
そして昨日も
「あんたは人の面倒を見るのが好きなんだから介護業界で修行した方がいい。だけどママはあんたに看てもらうの、いやだな。あんたの居るデイサービスも通いたくない。だってあんたは理屈っぽくてつまらないから。それにしても、早く何かにならないと時間がないわよ!くるくるくるくる職を替えているから誰の上にも立てない。親としては、あんたは残念です」。
来た来たっ!刺さるささる!母の毒がめり込むっ!
・・・わたくしは、おそらく褒められて伸びるタイプだったのに、と
わたくしも残念に思う。
母親から子に対しての発言は、それが意見の場合、必要ではない場面がある。
なぜなら、「おかあさんだったら、こうするんだけどな!」とか「こうしたらいいのに」っていう意見が3秒で出てきた場合は大抵、子の現状や判断を否定する要素を含んでいるからだ。
子がなぜその選択に至ったのかをよく聞き、受け止めてから、その後30分かけて紡ぎだした意見には真実がこもっていると思うのだ。
子の人生は母のものではない。強め圧でコントロールはできない。
「このおミカン甘いわねっ、ありがとう」
先ほどの鬼の手厳しさは何処へやら・・・
素直に言い微笑む、童女のような魔女のような美しい母。
父はきっと、母と共にジェットコースターのような人生をこれからも歩むことだろう・・・アーメン。
明日、わたくしは両親のもとに新年の挨拶に出かける。
我が夫は不参加。
息子は今年も箱根駅伝を応援するために早朝出かけ、選手がゴールした後に湖尻から走って下山してくるという。登山鉄道はまだ復旧していないがバスはあるのだろうか?気にはなったが任せておこう。バスが無ければ湯本から平塚まで走ればよい。君は自由。君はハピルなのだから。