可愛らしい犬と好青年、
二人三脚の生活動画視聴が今の母のを支えている。
…というよりは、彼らの生活を覗き見する事が母の生き甲斐だ。
顔を合わせれば脈絡も無しに今日の動画の素晴らしかったこと、彼がどんな生い立ちなのか、犬との出会いが彼の今をどんなに豊かにしているのか、才能に溢れた優しい彼の動画登録者が今日は何人増えたか、もう少しで10万人に達するのよ、アンタも協力しなさいよ、友達にも勧めてね、だの、主語も無しに苦労人の彼の不遇時代を涙ながらに語り出す!!
…もう何遍聞かされたであろう今朝の動画の彼の体調不良が心配な話に、もう勘弁!
…もうリアルな寝食を忘れて彼と犬にのめり込むほどに日々の生活が侵食!
件の動画が防波堤となり母の本音はわたくしにまで届かないが、そこにぶつかった血飛沫のような悲鳴が見える。
「あんたの父親なんだから何とかして!」
…ゴメン。今はこれ以上は出来ない。
わたくしはもう10年そう言い続けて母を突き離し父の介護を任せてきた。
これ以上は力を貸せない理由をこちら側の防波堤として積み上げた。
同時に防波堤はわたくしの吐露も堰き止めて母に「あのね、実はね」と打ち明ける事を許さなくなった。
今回も言えない。
まさか息子が高校もまた不登校状態になり、退学を検討しているなんて!
タロが逃げてしまい、息子とわたくしと夫は
相当なダメージを受けている、なんて!
今朝再びタロの命に一縷の希をかけて裏山を歩いた。
すると前方から優しい面立ちのご婦人が。
互いに「おはようございます」と。
すれ違い様にわたくし、堰を切ったように「タロを見かけませんでしたか?」と尋ねてしまった!
タロは黄色いセキセイインコで、こちら側の山に向かい飛び去ってしまったのだ、と。
ご婦人しっかりと頷きながら受けとめてくださり、タロの捕獲に協力すると仰ってくれた。
振り返りつつ去っていくご婦人に
「お願いします」と頭を下げる頃には涙が汗と共にマスクを濡らし、鳴咽が止まらなくなっていた。
朝から怪しげなわたくしの長い影。
朝から素直になってしまった脆弱なわたくしの姿がタロが飛び去った方角に伸びていた。