不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

送り出しまでのカウントダウン。最後の日曜日

今週末、息子は進学先に向けて出発する。

だから今日は

我ら凸凹3人家族が揃って我が家で過ごす

最後の日曜日だ。

 

朝から墓参りに行き

帰路、手捏ねハンバーグの店で昼食をとり、

夫、息子、わたくし3人揃って

昔みたいに買い物をした。

 

夕方帰宅してみると

玄関脇に置いた水盆の中に花が浮かんでる。

「あと数日、穏やかな日々をお過ごしください」とメッセージが添えられていた。

夕陽のなか、

夫は車のメンテナンスを。

息子はバイクの整備を。

わたくしは久しぶりに庭の手入れをして過ごした。

 

囲んだ日曜日の食卓には

昔みたいな夫の笑顔があった。

 

家族が一緒に過ごすこと、って大切だったのかもしれないなぁ…

こんな日曜日を与えてくれた

お彼岸に、ご先祖様に感謝。

 

 

最後の参加になるだろうか?不登校親の会

4年間お世話になってきた、【不登校親の会】を卒業してきた。

 

突如として出現した不登校の息子を当初は許せず、

どうしたら息子は元通りになるのだろう?と、

そればかりを考えていた当時のわたくしは

あらゆる箇所に助けを求めた。

しかし、群れの中へ戻す方法は、どこにも見つからなかった。

その間、息子は

中学2年生と3年生を完全不登校

地方の高校に進学したものの馴染めず通信制高校に転校。

このたび、その学校を卒業した。

次の進学先に選んだ学校は、またしても500キロほどの距離があり

再び家を出ていくことになった。

 

わたくしの母は

孫であるところの息子を愛しすぎ、応援しすぎて疲れすぎたのであろう。

息子の進学にあたり、こんな言葉をわたくしに投げつけてきた。

「きっとまた、学業を投げ出して戻ってくるに違いない。そんなことになった時の喪失感を考えたらとてもじゃないけど『いってらっしゃい』とは言えない。無事に学業を修め、社会に出ることになったその時には『おめでとう』と、盛大に祝ってあげたい」、

だから、それまで孫には会いたくないのだ、と。

「お祝いが貰えるとか思って『婆ちゃん、会いに来たヨ』なんてふうを装って訪ねてくるかもしれないけど、こちらにしてみれば『なんのつもり?』『お見通し』だわね」、

「・・・にしても、一人暮らしをして自炊をしながら学業をするというのはリスキー。アンタ(わたくしの事)も一緒に移住しなさい」、

「アンタ(わたくしの事)の仕事なんて、何処に行ったってできる仕事なんだから」、と。

心配と憎しみが入り乱れる母の言葉は、まるで呪いのようだった・・・。

 

今回、親の会を卒業するにあたり、

不登校児の祖父母の言葉が呪いとなって、不登校児の親であるわたくしたちを苦しめているのではないか、という発言をさせてもらった。

同士を得て強く成長していく【不登校児の親】を相殺してしまう【不登校児の祖父母】の嘆き節。

 

それは、思い当たる、と、多くの親たちが頷いた。

子供の不登校には誰よりも理解者として寄り添いたい。

しかし世代間の差であろうか、祖父母たちにとって不登校は、まだまだ立ちはだかる壁のごとく丸ごと受け入れがたく折に触れて恨み節、嘆き節を投げかけられる。

その狭間で疲弊し、悩むのだ、と。

 

「kanimegaさん。卒業とはいえ、また、その先の話を聞かせにきて」、と、

会の親たちから声を掛けられた。

不登校児の親たちは不登校を選んで成長した子供たちが、

これからの人生にも紆余曲折が付き物であることを知っているから。

「また、よろしくお願いします」、と言って会場を出たわたくしも実は

3年前の春にも一度、会の卒業を宣言したのだが・・・。

 

 

 

 

欠けた歯と親の言葉と…

ちょっと前の話しになるが、

正月2日。母とケンカした。

 

ケンカとはいうものの、

いつも私は母がひねり出すイヂワルな言葉のシャワーを浴びるがまま。

で、今回も言われるままに言葉を返さなかった。

 

それが悪かった。

以来、実家の事を考えると体調がおかしくなるようになった。

胃液が上がってくる。

腹痛を伴う下痢が起きる。

奥歯を噛み締めている事が日常的になり、気をつけてはいたのだが、見事に欠けてしまった。洗面台にカラリと乾いた音を立てて転がり出たカケラは乳白色で美しかった…。

 

いや、今回ばかりは母の言葉を聞き流すことが出来なかった。正しく応戦しなければならなかったのだ。

「こんな状態の孫を持つ事になり、ワタシがとれだけ苦しんだか、アナタ、わかってンの?」

…わからんではないが、わからん。

「何をしに来るつもりか知らないけどお年玉を貰うつもりで祖父母の家にやって来る、ってのは、日々を普通に頑張ってる孫のやる事。そうじゃないあの子には与えるものは何もない」

…お年玉に限らず今までたくさん支援して貰い、感謝しているんだ。たくさんの心を注いでくれてありがと。

「他所の孫たちは日々の研鑽が認められて進路が決まっている。苦手に向き合わずショートカットして決めたような、あの子の進路は疑問が残る。きっとまた投げ出すに違いない」

…進んだ先で投げ出すか投げ出さないか、じゃなくて

進まず過ぎていく事よりも

進む事を選べたのだと。そこらへんの自己決定の成長を愛して欲しい。

ウチの孫は、そういう子なのだ、と、

おばあちゃんとして、そろそろ理解してくれよ!

と、言わなくてはならなかった。

 

孫可愛さあまって憎さが暴走したカタチの母の呪いの言葉の数々。

 

親の言葉はボディブロー。

親の言葉には呪いがある。

受け入れられないものはフィルターにかけ深部に到達する前に排除しなければ。

浴びせられた言葉を濡れた柴犬みたいに全身でブルブルと跳ね返さないといけなかったナ、と

今更反省しながら歯医者通いをしている。

 

 

 

 

 

 

箱根駅伝の朝

18歳

通信制高校3年の息子。

小学校高学年の頃より箱根駅伝に魅了される。

きっかけは三浦しおん著の『風が吹いている』を読んだことに始まる。

その頃から正月2日、

箱根駅伝往路の朝は一人小田急線とバスを乗り継ぎ芦ノ湖にたどり着き

選手の到着を涙目で迎え入れている・・・らしい。

そしてすべての選手が到着したあとは旧道を走って箱根湯本駅まで戻ってくる・・・らしい。

帰宅後は1週間ほど筋肉痛で身体が動かないらしい。「サボっているわけではない」と本人は言うのだが、ホント、1週間はゴロゴロしており。

1秒を削り出して走る選手の身体は、どれほどのダメージを受けることだろう、と、心配になる。

 

2年前、コロナ禍真っ只中の駅伝開催にあたり、主催者は沿道での観戦自粛を呼びかけた。

この際、息子は「選手のために」と涙を呑んで箱根行きを見送りテレビ観戦を選んだ。

この生真面目さが理解され愛されて欲しいものだと、母は思う…。

 

今朝、一人出かけていく息子の背中を見送った。

 

大好きなことがあるということは素晴らしい。

ほんと、すばらしい。

箱根駅伝に毎年エントリーする大学への進学も考えたようだが、その道は選ばなかった。あ、いや、選べなかった、のかな?

 

来年も駅伝目当てに帰郷することだろう。

 

 

ハヴィガーストの情緒的自立、ってやつかい?

上り坂手前の交差点。

エンストを起こしたバイクを、ゆっくりと追い抜いた。

こちらは仕事中でハイエースを運転中。

サイドミラーの中に小さくなっていくバイクの運転手は息子であった。

 

息子はバイト代をかき集めて中古のオフロードバイクを手に入れたばかり。

わたくしの前では絶対に運転をしようとしない。

それどころか、ここのところ、とかく反抗的で

「母ちゃんの息が掛かっている場所や人や物には一切触れたくない」と言う。

 

…むかし、ある不登校相談会の講演で

不登校は、当事者自らが自分を育て直し始めるスタートライン、早い親離れ

と教えられ、

ため息をついた事を思い出した。

 

あれから4年あまり。

息子は不登校をキッカケに自分を育て直しはじめ、近頃めでたく反抗期の域に到達したとは言えないだろうか?

そして毎度毎度、息子については期待と喪失感がセットでやってくる事に適応出来るようになったのが

わたくしの発達した面だろう。

 

 

ピカピカの新車、ではなく、

20世紀末に生産された中古バイクを手に入れたのには、息子らしくて苦笑する。

オイルにまみれ、地べたに這いつくばるようにしてバイトして得た金で買えるだけのちょうど良い価格だったと言う。

 

春には新しい学びのために

この家から巣立つのだろ?

バイクに乗って出ていくワケだな。

ならば、も少しライディングの姿勢を柔軟に

伸びやかに。

何よりも安全にっ、と、願っている。

そして、、、

(今度こそ、志し半ばで学業を放り出して帰ってきて欲しくないな💦)

 

 

 

 

 

 

 

 

彩り

単身赴任夫との22回目の結婚記念日。

この10年ほどは、それを祝うべく贈り物を交換したり乾杯したりといったこともない。

 

そして、昨夜は我が家の建立16周年記念日。

単身赴任夫に「あと10年!ローンがんばろ!」と

LINEしてみたが既読はつかなかった。

先日帰宅した際、かったるそうに

忙しいのだ、と言っていたっけ。

あと10年、無事に働き続けられるだろうか?

 

庭木だけがスクスクと伸びて行く我が家の敷地。

来春は息子も進学先へと巣立っていく。

父ちゃんと家に感謝はしているけど、そんなに思い入れはないな、

と、簡単に言ってくれるが、

君を不登校とひきこもりから安全に守ってくれた環境を心に刻んで欲しい。

ぜひ。

 

わたくしは、ひとりこの敷地内で

お婆さんになっていくんだろうなー。

 

 

夜行バスに乗って

新宿バスタは嫌いな場所ではない。

観光への出発地点として訪れたことはないが。

 

昨夜、ウチの息子もまた観光目的ではなく新宿バスタから近畿地方へ向けて出発して行った。

「鎌倉殿の方法時間までには帰宅するから」。

そう言って、着慣れない詰襟の学生服で出かけて行った。

…2年前、すったもんだして彼は地方の高校から逃げ出してきた。その学校の金ボタンが街灯に照らされ光っていた。

高校の先の自分の人生を探しに。

受験したい学校がある、と言う。

その学校は、自宅からは通えず、でも、合格したら行きたい、と、言う。

 

そうか、わかった。

わたくしは、

松屋で朝ごはんを食べてから受験するように、

昼飯をバランスよく買うように、と

息子にむきだしの3000円を渡して送りだした。

 

今頃、きっと試験中だろう。

帰りは?鎌倉殿までに帰宅する、となると夜行バスではなく、新幹線で帰ってくるに違いない。

調子のいい息子だ。

安全に帰って来い。

秋の桜が咲いていた。

君の桜も咲くかいな?