4年間お世話になってきた、【不登校親の会】を卒業してきた。
突如として出現した不登校の息子を当初は許せず、
どうしたら息子は元通りになるのだろう?と、
そればかりを考えていた当時のわたくしは
あらゆる箇所に助けを求めた。
しかし、群れの中へ戻す方法は、どこにも見つからなかった。
その間、息子は
中学2年生と3年生を完全不登校。
地方の高校に進学したものの馴染めず通信制高校に転校。
このたび、その学校を卒業した。
次の進学先に選んだ学校は、またしても500キロほどの距離があり
再び家を出ていくことになった。
わたくしの母は
孫であるところの息子を愛しすぎ、応援しすぎて疲れすぎたのであろう。
息子の進学にあたり、こんな言葉をわたくしに投げつけてきた。
「きっとまた、学業を投げ出して戻ってくるに違いない。そんなことになった時の喪失感を考えたらとてもじゃないけど『いってらっしゃい』とは言えない。無事に学業を修め、社会に出ることになったその時には『おめでとう』と、盛大に祝ってあげたい」、
だから、それまで孫には会いたくないのだ、と。
「お祝いが貰えるとか思って『婆ちゃん、会いに来たヨ』なんてふうを装って訪ねてくるかもしれないけど、こちらにしてみれば『なんのつもり?』『お見通し』だわね」、
「・・・にしても、一人暮らしをして自炊をしながら学業をするというのはリスキー。アンタ(わたくしの事)も一緒に移住しなさい」、
「アンタ(わたくしの事)の仕事なんて、何処に行ったってできる仕事なんだから」、と。
心配と憎しみが入り乱れる母の言葉は、まるで呪いのようだった・・・。
今回、親の会を卒業するにあたり、
不登校児の祖父母の言葉が呪いとなって、不登校児の親であるわたくしたちを苦しめているのではないか、という発言をさせてもらった。
同士を得て強く成長していく【不登校児の親】を相殺してしまう【不登校児の祖父母】の嘆き節。
それは、思い当たる、と、多くの親たちが頷いた。
子供の不登校には誰よりも理解者として寄り添いたい。
しかし世代間の差であろうか、祖父母たちにとって不登校は、まだまだ立ちはだかる壁のごとく丸ごと受け入れがたく折に触れて恨み節、嘆き節を投げかけられる。
その狭間で疲弊し、悩むのだ、と。
「kanimegaさん。卒業とはいえ、また、その先の話を聞かせにきて」、と、
会の親たちから声を掛けられた。
これからの人生にも紆余曲折が付き物であることを知っているから。
「また、よろしくお願いします」、と言って会場を出たわたくしも実は
3年前の春にも一度、会の卒業を宣言したのだが・・・。