犯人は51歳、ボウズ頭、上・下黒の服装、強い殺意、ひきこもり傾向があったとテレビが伝えている。
容疑者とされる男の写真からは
およそ考えが及ばない事件。
報道に触れ、
我が家の中三の息子は、
卒業アルバムに写真なんか載せられたくないな、と、
ため息混じりに言った。
別の事件では
容疑者である兄は、ひきこもりをなじられたことがきっかけに事件を起こしたようだとテレビが伝えている。
新聞にはまた別の事件が。
殺人者となってしまった元事務次官。
被害者の息子はひきこもりがちであった・・・、と。
【ひきこもり】って言葉の奥行きは計り知れないのに
ニュースに関わる人達は、いつの間にか注釈もなしに【ひきこもり】を使うようになったような気がする。
視聴者・購読者には【ひき逃げ】と同じくらいの認知度があると信じているかのようだ。
果たして、そうだろうか?
報道の受信者は事件に対する恐怖と悲しみの中で、
諸悪の根源がどこにあったのかを知りたいと、さらにアンテナを張り、耳をすませる。
なぜ、こんな事件が起こってしまったのか?
事件の背景の一つに【ひきこもり】という言葉がハメ込まれて報道されると
視聴者・購読者は納得と同時に安心してしまうようだ。
だからこんな事件が起きたのね、と。
【ひきこもり】というワードが孕む力は計り知れない。
ニュースに関わる人たちが容疑者の素性を明らかにするにあたり
何十年も昔の卒業アルバムの写真を掲載する意味がわたくしには理解できない。
近々のFacebookからの写真ならばいざ知らず、
未成年の頃の顔までサービス掲載する必要は無いのではないだろうか。
不快である。
取材しても卒業アルバムからの情報しか掴めないならば、そこに着目し、現在と接点を持たない容疑者の背景をきちんと伝えて欲しいと思う。
【ひきこもり】の一言に任せないで欲しいと願う。