不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

父を入浴させる。できるけど。だけど。

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実家へは電車で向かった。

 

 

夜勤明けの目に身体に優しい太陽が降り注ぐ。

座席を確保するや否やすぐに眠りに落ちる自信があったが

眠気を払う父の罵声が頭の中でリフレインし、思わず顔を上げた・・・。

 

前の晩に受信していた父からの留守番電話が凄かった。

『オマエ、ひどい人間だな。こんなに頑張っているオレを陥れるなんて』

『生涯呪ってやる。覚えておけ』

『自分がやっていることを、よぉおおおおく考えてみろバカヤロー!』

『偽善者ヅラしやがって』

『親に対して死ね、と、態度で伝えているつもりか。』

『甘い。オレはオマエには殺されはしない。』

『いっそ、オマエが死ね!死ね!しねぇえええええっ!』・・・。

 

つまり、真相はこうだ。

昨年の介護認定調査で。母を締め出した父は調査員とマンツーマンで問診を受けた。

歩けます、簡単な調理もできます、お金の管理もやっています、風呂も自立です等々、意気揚々と答えたらしい父。

当然のことながら正しく父の状態が伝わらなかったもので、介護区分が格段に軽くなった。

看護付き多機能の制度を使って、たくさんの助けを借りて生活をしている父と母の日常が総崩れしてしまう・・・となれば介護区分を急いで見直す必要があった。

ところが介護区分を自分の成績表だと勘違いしている父は、これが気に食わない。

『せっかく俺の努力が認められて支援に上がったのに』と鬼の形相で怒りまくり、

介護拒否を始めたのだ。

 

幸い認定見直しがなされ、元通りの介護度に納まったのだが、父の怒りの矛先は完全にわたくしに向けられたまま、介護拒否は続いている。

血糖コントロールインシュリンと投薬の管理。

カテーテルバルーン留置の排尿排便の清潔の管理。

制限食の管理が

当然のことながら家族にのしかかってきた。

 

さらに父は続ける。

『よく考えてみろ。ママも歳だしオマエが拠点を移してオレの世話をするのは当たり前のことではないか』

『長女だろ?そういうつもりでオマエを育ててきたんだから、それが真っ当だ』

『息子も高校を辞めて家に居る、夫は単身赴任、オマエが家にいて何をするでもないじゃないか、オマエに何がある?少しは役に立て』

『会話もできない老人が集うデイサービスの中に置き去りにされて一日を過ごすオレを憐れんでくれよぉ』

・・・。

一見正しいと思われる要素を含んだ巧みな話術で押したり引いたりを繰りしながら、わたくしの同居を促す父。

病気とはいえ、なかなか許しがたい。

しかし萎えるのだ!ツボに刺さるのだ!破壊力がある言葉の持ち主なのだ!

 

わたくしより少し年長のケアマネージャー氏がこう励ましてくれた。

「今、親を理由にあなたがお仕事を辞める必要はありません。お仕事、続けてくださいね」

 

在宅医療の医師が、薄笑いしながら言った。

「あなたが在宅したとて、お父さんの病態が良好になるワケではありませんから」

 

地域包括センターの相談員が言った。

「お父さん。たくさんの弱いところを抱えて家族のために働いてきたんです。他の方と比べられたり較べたりして、きっとたくさん悔しい思いをしてきたと思いますよ」

 

そうなんだよねぇ・・・。

そうなんだけどねぇ・・・。

自宅から電車で90分の実家は日々のケアを行いに通うには、やや遠い。

すっかり午後の日差しにになった父の居室に到着すると、鬼の形相の父が髭だらけフケだらけ、目ヤニだらけで待っていた。

「おお、遅かったじゃねぇか!風呂だ風呂!」

そう強がりながらふらつく足元で浴室に向かう。

父はかれこれ5年も

裂けた鬼頭の先に管を装着し尿パックを接続している。

その気質から手術はおろか、入院もできない。

「悪いと思ったからよ、尻はよく拭いておいた」

最初のころこそ気兼ねして下の清潔を子供であるわたくしに託すことは無かったのだが

既にその恥じらいも消失したのかと苦笑いがこみ上げる。

乱暴だ雑だクソだ、やりやがったなチキショーだのと、

父からいろいろ罵声は出てくるが、浴槽に背負い込んでやると気持ちよさげに

「ありがと」と呟いた。

「またお願いします」と言いかけた父の言葉を遮って

早くデイサービスに通ってくれと懇願してしまったバレンタインデーの夕方であった。