ここには、小さな平屋が建っていた。
おばあちゃんが一人暮らしをしていたのだよ、と近所の人が教えてくれた。
敷地を囲むフェンスは無く、周囲ぐるりに豊かな庭木が点在していた。
柿、棕櫚、梅、松、石楠花。
荒れ果てた庭をよくよく眺めてみると築山がこんもりとしている。
家人が帰らなくなってしまってから三年が経過したと聞いた。
三輪車に乗せていた息子を庭に放つと、あっという間に庭の深部まで進み入ってしまい視界からきえてしまった・・・。
三年でこんなに庭は荒れ果ててしまうものなのか、と驚愕。
まるでススキ野原だ。
後を追われる柴犬の仔みたいにキャッキャと逃げ回る息子の声のする方へ歩を進めると
突然落ち葉の落とし穴にストンと落ちてしまった。
高低差は1メートル近くあっただろうか。
落葉樹の葉が蓄積して出来たフカフカの落とし穴の淵で
息子が目を輝かせてこちらを見下ろしている。
「いっせせーのっ!」
静止する間もなく息子は落とし穴に飛び込んできた。
なんども、なんども。夏のプールサイドを思い出したかのように歓声を上げて繰り返し飛び込んできた・・・。
まったく、ひとめぼれ、という経験は後にも先にもこの家以外は無い。
それほどこの家は可能性を秘めていて他の何ものにも替え難い価値があるように思えた。
小さなアパートの一室で夜泣きの息子をあやしながら
夢うつつに山間にチョコンと建つ家を思い続けた。
欲しい欲しい、どうしても欲しい!
後に夫がこの時のわたくしを振り返り、こんなことを言った。
「『あの家を買えないなら、もう、この先どんな家も要らない』・・・そう言って振り返った顔が怖すぎて、思わず高い買い物をしてしまったが、早まったかもしれない」。
そう、そうかもしれないね。
この夏、ボーナスが出なかった。
昨冬のボーナス払いも、やっとしのいだところだったところへきて今回はコロナ不況が追い打ちをかけてきた。
なんとか、この家を死守したい。
ついでに息子の青春も整復してやりたいし、
夫の壊れてしまった心も修復したいし、
わたくしの底抜けの銀行口座もなんとかしたい。
だのに今日のわたくしときたら、仕事を休み、朝からずっと縁側で読書をしてしまった。
しっかり稼いで犬も飼えたらいいなぁ、と思いながら。
現実逃避にもほどがある。
わたくしたちが住むにあたり、市の条例で築山を崩し、周囲をフェンスで囲み雨水を流すマスを作る必要があった。
棕櫚も松も梅も石楠花も柿の木も伐採伐根する必要があったが、今では雑木を主体にした我が家の見通しの良い庭は居心地が最高に良い。
人の死なない家は無いという。
かつてここに住んでいたおばあちゃんの思い出を語る隣人は皆、鬼籍に入られた。
記憶は更新されていくのだ。
よし!
がんばろ。