「では来月は面談お休みで」
「そして次回3月でもって、この面談を終了としましょう」。
児童相談所には約1年半関わって貰っている。
・・・息子の不登校をこじらせ、
ほどけないほど結び目が固くなった夏の朝のこと。
自室内側から板を打ち付け雨戸を閉ざして籠城する息子を壁の穴から覗き見た。
熱中症で倒れている??事件になっちゃうかも???
そう思ったわたくしは、その前月に息子が、次いでわたくしがぶち抜いて夫が直したばかりのドアを再びわたくしが力の限りにぶち抜いて息子の部屋に押し入りレスキューした。
慌てて窓を開けて風を通し、息子の息を確認し・・・
・・・なんか、親子で狂気の沙汰だった(-_-;)
このまま突き進んではダメな予感が満タンになり、児童相談所へ電話をかけた。
ウチら親子のことを知ってほしいと願い出た。
危険水域に達しているならば息子をわたくしから逃がしてやらなければならないから、と。
単に重しが欲しかったのかもしれない。
すぐに月に1度の面談が親子それぞれに、と設定された。
むろん、そんな状況からのスタート。当初は息子を家から外に出す方法さえ考えつかず途方に暮れながらひとり、息子ヌキで状況報告に出かけていくばかり。
変化があったのはその年の晩秋のこと。
14歳になった息子にこの先、どう生きていきたいかを考えてみよ、と提案した。
そして、14歳で岐路に立たされた身近な人たちがどのような選択をしたか、という例を挙げて話した。
ひめゆり部隊に所属していたサチコさん。
片道切符を握りしめ、家出同然で東京に出てきた爺ちゃん。
戦災孤児になったMさんが大学教授になるまで。
奇しくも皆、14歳だった件を。
現代は命を獲られるワケではなし、自分で選んで進んでいいのだ。
その考えをまとめて児童相談所に話しに行こう、母ちゃんが聞いたら口を挟んでしまいそうだから、と。
じゃ、行ってみるか、と腰を上げた息子が針に浅く掛かったボラに見えた。
どうかバレないで~っ💦
・・・面談を終えた息子は「今度はボードゲームをしよう」と担当臨床心理士先生に言われ微笑んだ。
以来毎月、わたくしは面談。浅掛かりのボラ息子は時折バレることもあったが、ボードゲームを挟んでコミュニケーションをする時間を児童相談所で繰り返してきた。
わたくしもいつしか自分の思考に息子を寄せて従わせようとは思わなくなった。
もう、ご近所によって通報されるような親子喧嘩もしないだろう・・・。
ちなみに息子はボラとして群れにリリースされるのではなく、マンボウとして単体で大海にリリースされるのだ。そんなイメージでこの度の面談終了を受け止めている。