不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

木曳門(コビキもん)で出会ったトウリさんは、どうしているだろう

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「城の話はぜったいにするな」ってパパが言ってたけど、しちゃうわよねぇ~

泣きはらしてブス割増の顔で実家へ父の介護支援に行ったら

母が開口一発そんなふうに言うもので、鼻水まで垂れてきて。

わたくしの、大好き、という領域のほとんどを占めている沖縄のことに理解を示してくれている両親の前で気が緩み、

ワーッと、それこそきちんと泣いてやったのだった。

「やだ!ついに何か起こったかと近所に思われるからっ」と怒る母の眼にも涙。

 

 

行きたい場所、

会いたい人、

食べたいもの、の三点セットはいつも変わらず左目の上の方に描いてきた。

 

ぎぼまんじゅうで「の」の字を書いてもらったまんじゅう?それとも

山城まんじゅうで出来立てホカホカを手に入れようか? 

どちらも城歩きには欠かせないおやつだった。

首里城が見えるベンチで月桃の葉の香りを楽しみながら食べた。

首里城公園は御庭(ウナー)に入らずとも無料ゾーンにもたくさんの見所があった。

木曳門周辺で警備にあたっているトウリさんという方がいて

その方に城壁の周りに点在する門めぐりの楽しさを教えていただいた。

夕景の中にライトアップされる木曳門西のアザナの美しさ・・・

今年2月に完成したばかりの城が・・・まだ全容を観てないのに。

高良倉吉先生は、悲しみの先頭で強く活動をされていくことだろう。

左目の上に思い描く過去の思い出には、また涙である!

 

これからは、右目の上の方に首里城の未来を思い描こう。

 

さきほど、首里城火災支援プロジェクトとしてJAPANKURU FUNDINGのクラウドファンディングがスタートしたので、ポチッた。

海自も米軍も空から水をかけてくれなかったじゃないか、と外野で泣くのはやめることにする。


因みに木曳門は、首里城建立の際、山原(沖縄北部。ヤンバル)から切り出した木材を城内に運び入れた門。

また再び、檜木を此処から!ね!トウリさん!!