父の日。
単身赴任夫は仕事が佳境に入っていたため、帰宅しなかった。
珍しい事ではない。
息子の誕生日、お盆休みや、各種祭日も
「オレの暦には関係ナイね」と好んで労働に励んできた。
特に自分が祝って貰う日は結構な確率で仕事を入れる夫は
実は恥ずかしがり屋で涙もろい。
人間くさくて面倒くさい。
くさいくさいくさい!
息子がまだ幼児の頃、長引く出張が夫の誕生日をまたいだ。せめてもの言葉を、と考えて
息子の動画を送った。
「とうたん、ばんがれっ!」(がんばれ、だね)
「とうたん、だいすきっ!」。
鼻にシワを寄せて叫ぶ2歳の息子の姿が私のガラケーに残っている。
応援されて嫌な気分になる人は居ないだろう…わたくし、そう信じて生きてきたのだが、
一概にそうくくってはならないと、実父と息子に思い知らされた。
実父の例
お天気も良いし、陽だまりの公園にお散歩しに行こうよ、と声掛けしたところ、差し出した手を思いがけず払い除けられた!
「こんなに体調不良な状態でギリギリ堪えて生きてんだ!この上、散歩なんか出来るもんか!まだやれ?まだ足りない?ふざけんなっ!」
おー。なるほど。
すごい剣幕で元気そうだ!
この場合、実父への対応は、まずねぎらい、グチを傾聴、では日頃の頑張りにご褒美で何か美味しいものを探しに出かけてみない?とやるべきだっただろう。
息子の場合
臨床心理士先生から、息子には育つ過程で、想像していた程には褒めて貰えなかった経験があると指摘された。
「本人なりに達成感があったこと、例えば勝利とか点数について」と。
実は思い当たるフシがあった。
息子は空手を習っていた。
派手な技を持たず、一手一蹴をコツコツと打撃する戦法。相手の上段回し蹴りをさばき、胴回し蹴りを見抜く。決して下がらない闘いぶりは息子らしく応援のしがいがあった。
しかし大会に出場すると3位決定戦の常連で、勝っても負けても悔しい思いが残った。
黙って涙に暮れる青タンだらけの息子に、まず、よくやった!とやるべきだったな。
欲をかいたわたくしは、負け試合の動画を解析しながら「ココでインローが入っていたら」などと、解りもしないのに言っていたような…。
ごめんよ。君がコートの中で沢山の声援を貰って輝いていたから、まだまだイケると先走ってしまった。君の悔し涙をきちんと理解してあげることを後回しにしてしまった。
息子が初めて出場した空手の試合で手にした小さなメダル。
勝利よりも頑張って挑んだ達成感で嬉しくて柴犬の子みたいにはしゃいでいた姿を思い出した。
夫は汗だか涙だかをハンカチで拭っていたっけ。
掘り起こしたあの日の思い出を今度こそ家族で共有したい。