不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

父、デイサービスをチェンジする

今月から父のデイサービスを変更した。

もう少し生活の中に出来ることを増やしていきたいという希望があり

元号も変わることだし新しい環境に身を置いてみようという意向である。

 

60代で病に倒れた父である。

父は孫の運動会を見たことがない。

キャッチボールも釣りも

孫とやったら楽しそうな事を一つもやらないうちに

病床の老人になってしまった。

 

 

当初、とてもじゃないけど在宅介護は難しい状況だったので、

海が見える介護施設に入所したのだが、

利用者が80代中心という中で

当時の父は若すぎた。

 

ある日届いた父からの手紙には震える文字で自宅に帰りたいな、と記されていた。

 

母は在宅介護を決意した。

父の安堵と引き換えに母は、沢山のことを諦めなければならなくなった。

孫の七五三も入学式も運動会も旅行も映画も

自由な買い物さえままならない。

 

 

 

母の日に欲しいものは?と聞くと

答えはいつも同じ。

1週間でいいからパパを預かってちょうだいと言う。

いいよ、と引き受けられないのは、

わたしの覚悟が足りないのと

そんなわたしが父と母から100パーセントの信頼を得られるわけもなく

委ねてもらえないのと、

環境が整えられないから。

 

ショートステイや入院をしたがらない父。

どう説明しても、お願いしても受け入れてくれない。

一方で父の容態は最小でも週に一度は緊急的に在宅診療してもらわなければならない事態となる。

では私が「パパを診ているから旅行に行ってらっしゃい」と促しても

母はかぶりを振って自由を手繰り寄せようとしない。

 

あの日。

父が倒れた10年前のあの日。

母と私と息子は三人で旅行に出かけようとしていた。

留守番の父から不調を訴える留守番電話を聞き、慌てて実家へとって引き返すと

真っ暗な部屋で犬のフウタの目が光っていた。

その傍らで父が長く伸びていた。

 

あの場面が母の心のトリガーポイントとなり

以後10年、ジワジワと母の全機能を低下させてきた。

つまり、母もまた患う父の傍らで健全ではない状態で居る。

 

夫婦の間を取り持ってきた、小さな犬のフウタはすでに亡い。

小さな遺骨をなかなか手放せないでいたが

昨秋、庭の柿の木の周りに放した。

いま、柔らかな緑の葉が生まれ出て見上げる空の手前に揺れている。

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そんな生活が、かれこれ10年

父は丈夫であった!

月日は巡り、近年父はやっと後期高齢者の仲間入りを果たした。

 

しかし、どこのデイサービスも父と同世代の利用者はまだ少数で、

お元気な80代の先輩方が予防介護プログラムをサクサクとこなしていらっしゃる。

新しいデイサービスにおいても、かたつむりのような歩みの父。

それでもスタッフの皆さんに励まされ、

父なりの一生懸命さで新しいデイサービスに馴染もうと努力している。

いくつになっても褒められれば嬉しいし、気にかけてもらえたらホッとする。

父のちっさい努力や、しょうもない気持ちを聞き流さずに拾ってくださるスタッフの方々のスキルの高さと仏のような笑顔に敬服しつつ、

今日もお世話になっている。