不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

来ない…こない!で半年が過ぎ・・・

f:id:kanimega:20210614190830j:plain現在の職場に入職してから半年が過ぎた。

進んだ時間と同等分、
止まってしまったものがある。
生理だ。
年齢だから仕方ない・・・とは、言いきれない。
入職初日、職場のトイレは男女共用で、
そこには、どこを探してもゴミ箱が無いことに気づいた。
他の職員がどうしているのか、話を聞くのもシャクだった。
 
そしてひらめいた!
かつて、赤ん坊だった息子の使用済みオムツを外出先で入れていたポーチ!

に加えて、今日では臭わないポリ袋もあると知った。

これと用品を

これまた男女共用ロッカーに入れておき、トイレに行く際に持ち出して・・・

夏場はポーチに保冷剤も入れておかねばならないだろう・・・

あああああっ面倒くさいっ!

いっそ、もう生理なんかなくなってしまえばよいのだっ・・・と、

確かに念じたことを覚えている。

だから、かな?

日頃、

滅多に聞き入れてもらえない願いを神様は叶えてくれたに違いない。

 

そして半年。

起き抜けに踵が痛むことに気づいた。

指の第一関節と第二関節が痛む。

膝が痛いような気がする。

キッチン上部の棚に仕舞ってあるラップやジップロックのストックに手が届かなくなった。

 

これは・・・もしや!!!

慌てて呑み始めたエクオール

いつ効くのかわからないが・・・。

 

神様、多くは望みませんがもう少しだけ

わたくしの老いを緩やかにすすめてくださいませんか・・・。

 

しかし。

 

 

 

 

 

炉の扉が閉ざされる前に叫んだ。

「困ったわねぇ・・・」。

義母はポツリと呟いた。

わたくしは、苦笑いしながら義母の次の言葉を待った・・・のは、

今から20年ほど昔の事になる。

 

夫との結婚の意思を固めてご挨拶に伺ったときの話。

 

当時、

海外赴任になる、という夫と

アパートの更新時期が近付いていたわたくしが出会い、

それならば籍を入れて夫のアパートにわたくしも住んでしまえば良いではないか、

ということになり、早急にご挨拶と相成った。

 

「あなたの人となりも知らないし、学歴もお仕事も知らないわ」。

当時のわたくしには、義母となる人を安心させて納得していただくだけのお土産は

何も持ち合わせていなかった。

しかも、後に知ることになるのだが、虎屋と高島屋を信頼している夫の実家へ、

わたくしは地元の駅ビルで購入した和菓子を持参してしまったし・・・。

 

「この家と家族のことを大切に想って努めてきたの。だから、あなたにも同じ想いで行動してほしいのよ。そういう事は、まずは大叔父様にご挨拶してから決めましょう」。

・・・義母の言葉は重かった。

💦大叔父様って?エルロイ大叔母様って、アンソニーの何だったったけ?

 

…最初がそんなんだったもので、

義母の想いになかなか報いることができず。

しかし一方では義母に認めて貰いたい想いはあり、結婚後のわたくしの全てのターニングポイントには義母が影響を与えている。

 

孫が抱けないなんて!と涙ながらに悔しがる義母を前に治療を決意。卵巣嚢胞と卵巣腫瘍と子宮筋腫が次々と見つかり治療。

 

あなたは本物じゃないから遠慮するわ、と腰痛を訴える義母に施術を断られたことがキッカケで封印した整体術。

 

息子を婿に出したワケではありません、とピシャリと言われて諦めた実家近隣の建売物件の購入。


長らく民生委員を努めた義母は、介護保険のお世話になる事を強硬に拒んだ。

「こちら側の人間が、あちら側でお世話になるワケにはいかないの。わかるわよね?」

…と、義母は頑張るが疲弊していく義姉たちをみかねてしまった。

杖の使用も、移動時の車椅子の使用も同じ理由↑で応じて貰えなかった。

夫からは「オフクロが嫌がることには関わらないでくれ」と言われた。

だけど。

義母の安心で安全で安楽な生活は、長らく続いてきた暮らしとは別域にあると感じ、そこへは家族では導けないと判断したわたくしは、お節介をしてしまった。

高齢福祉課と連絡を取ったのだ。

状態をお話しすると即日に地域包括センターからケアマネジャーが訪問してくれた。ケアマネジャー氏は、「こちら側」だった義母の尊厳を守りながら丁寧に傾聴してくれた上で問題点を洗い出してくれ、「あちら側」への橋渡しをしてくれた。

…そんな事がキッカケで一念発起したわたくしは、いつか義母にホンモノだ、と認めて貰い、車椅子を押さえてもらいたいと介護に職を求めた。

だが、間に合わなかった。

義母には、ついに最期まで安心と納得を与えてあげられなかった。


そして20年という年月は早過ぎて、

今、火葬炉の扉が閉ざされてしまう!

今度こそ、義母とわたくしは、あちら側とこちら側だ!!

わたくしは思わず

「今日までたくさん、ごちそうさまでした!」

と叫んでいた。

だって、与えていただくばかりで、わたくしは何も提供できていないから。


義母は、きっと苦笑しながら旅立ったことであろう…

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義母がくれた休日を使う。正しく使う。

f:id:kanimega:20210601091437j:plain喪服を脱ぎ捨て朝から庭に出た。

 

花をつけたドクダミ

その花が散らないうちに根から摘み、乾燥させて茶にするのだ。

ドクダミホワイトリカーに漬けた。

 

野鳥のレストランになっていたジューンベリーの木に登り

熟した実を横取りした。

 

青梅の実のヘソを楊枝で取り去り

包丁で筋を入れ、木べらで叩き割って種を取った。

はちみつ漬けにするのだ。

残りの2キロは梅酒にしよう。

 

年々歳々花相似

年々歳々人不同

 

今年も庭の花は咲き実をつけた。

仕事に明け暮れて何の世話もしなかった今年の庭。

あやうくその実りを無駄にするところであった。

 

今朝、義母と今生の別れをした。

葬儀までポッカリと空いた今日の一日を

わたくしは正しく使いたい。

 

 

 

 

 

息子は、義母に触れることができない

義母は正しい人だ。

正しさゆえ、近寄り難い面がある。

それは血を分けた孫であるところの我が家の不登校息子も感じている、ということを先日知った。

話しにくそうにポツリぽつりと語り出した息子の話しに、苦笑した…

…夫の実家へ、まだ幼少だった息子を1人で向かわせた際の事だ。

お土産に持って行った焼き菓子の包みは、自分も含めて「みんなで食べるもの」と信じていた息子の予想は裏切られ、包みは封を切られる事なく仏壇に上げられてしまった、というのだ。

…義母なりの躾だったと思う。

しかし、いつしか祖母の前で緊張する様になった孫は「ばあば」と気安く呼びかける事が出来なくなっていったというのだ。

…わからぬではないが。

手をつないで歩いた記憶も無いのに今になって病室のベッド上で意識のない状態で横たわっている「ばあば」の手を握るのは難しいのだ、と言うのだ。

…息子よ!それは格好つけではないのか?今度は1人で見舞いに行き、誰の目も気にせず手を握ってやってほしい。

君は、正しい義母を唯一、婆ぁ呼ばわりできる、1人きりの孫なのだから。


この時間を逃して欲しくないな。

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12年間、ありがとう。さよなら、キンタ。

キンタとは12年と8ヶ月の付き合いだ。

祭りの金魚掬いで連れ帰った5センチほどの1匹の金魚が、あれよアレよという間に成長した。


成長に合わせて水槽は3個変えた。

最後の水槽チェンジは3年前。

当時中学2年だった不登校息子が八つ当たりで投げつけた国語辞典が水槽をカチ割った。

流れ出た25リットルの水と割れガラスの中でビチビチと跳ね回るキンタを息子が秒の速さで掬いあげたのだった。

「ごめんよ、キンタ」と呟きながら。


寒い日も暑い日も。

良い日も悪い日も。

何も言わずに水槽からずーっとわたくしたちの歪んだ家族の情景を見つめてきたキンタ。


最後の日も、その瞳は閉じることなく、こちらを見据えたまま…、当たり前か。


息子の手により庭の一角に丁重に埋められた。

体長約20センチ。

眠ることなく振り続けた尾びれは、もう動かない。


おやすみ、キンタ。

ありがと、キンタ。

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玉葱の葉が倒れたよ、今年は早いな

「kanimegaさん、あなたに、働かなけりゃいけないワケがあるの?」

・・・いやはや。またですか💦

新しい職場に就いてから半年、この手の質問をされるのは3回目だ。

 

みんな理由があるから働いているんだろうと思うのだが・・・。

遠巻きに【この職場では使い物になりません】という死刑宣告だろうか???

それとも、わたくしが私生活を語らないから、なのだろうか?

 

そもそもわたくしは、自分語りが苦手だ。

もともとそうだったワケではないが、近年、どんどん苦手になってきている。

これって、脳の伝達系の働きが落ちている証拠なんですってね・・・。

そして今の職場にはわたくしの主観や自分語りは求められていない。

だから話す必要が無いので、話さない。

職場の人々はご自分のことを人間観察のプロフェッショナルだと自信をもっているから、もちろんわたくしの人間性も分析済みで、【kanimegaは、こういう人】と分類して共有しているのだ。

 

だが、しかし、わたくしは・・・人は多面体だと思って接している。

こういう人だから、こういう行動をする、というパターンとしての分類はできたとしても、それが必ずしも正しいワケではないではないか。

既成概念にとらわれて、こうだから、こう、と、

何でもかんでも結びつける考えには疑問がある。

 

で、先ほどの

「kanimegaさん、あなたに、働かなけりゃいけないワケがあるの?」の問いの答えには、「はい」とだけ答えた。にこやかに。いや、マスクに隠れた口元には笑顔は無かったはずだ。

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働く理由は、この庭を自分のモノとして守っていくため。

家なんか、子育てを安全にする場のための巣なんだから、子供が育ったら手放したっていい。無理するな!

そんな忠告をしてくれる友人もいる。

確かになるほど。

だがしかし。

わたくしは、庭いじりが好きなのだ。季節の彩が励みだ。

ベランダで口角を上げた月を見つけるのが好きだ。

 

玉ねぎの葉が倒れた。次の休みには収穫だ。

トマトが終わり、秋茄子が終わってダメと思ったときには

生活を仕切りなおそう。

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三年寝たダロっ?

ある朝、職場に電話がかかってきた。

午前9時。いちばん忙しい時間帯になぜ?と胸中で舌打ちしながら受話器を取った3年前の春のことは、まだ生々しく思い返すことができる。


それは中学の担任から息子の不登校を告げられた日の電話であった。

と、同時にわたくしが理想としてきた息子像を喪失した日。

と、同時に息子が自分自身を育て直し始めた日である。

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帰宅すると息子はブランケットに包まり、ミノムシのように床で転がっていた。

ライナスか…

ブランケット症候群か…

心が緊急事態に襲われた際には最悪の環境の中で、こうして心身の安定を保つ行為らしい。


以来3年。

いろいろいろいろ色々、それこそ色々あり、

今日に至る。

そして今日も息子はマイペースを貫いている。


3つ前の春、息子の緊急事態に驚愕こそすれ、手荒なマネも口出しも一切しなかった夫。

唯一、わたくしには「結局、母ちゃん(わたくし)がアイツを追い込んだんだろ?」と悔し紛れに言った。

夫よ、子供の凸凹は、夫婦同罪だよ?と思うわたくしではあるが、それはどうなんだろ?実際のところは3年経った今でも、まだ判らない。


さて、三年寝太郎の息子よ。

君が家に居ることを良いことに母ちゃんがフルで働いていられる訳だが。

そろそろ起きて自分の為の活動を始めたまえよ!

雨が降ってきたので洗濯物は入れました、とか

カレーにしたので夜勤の日の飯は大丈夫です、とかって主婦みたいなLINEばかり送って寄越すんじゃなくて、

もっと!さ!伸びやかに、さ。

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