「困ったわねぇ・・・」。
義母はポツリと呟いた。
わたくしは、苦笑いしながら義母の次の言葉を待った・・・のは、
今から20年ほど昔の事になる。
夫との結婚の意思を固めてご挨拶に伺ったときの話。
当時、
海外赴任になる、という夫と
アパートの更新時期が近付いていたわたくしが出会い、
それならば籍を入れて夫のアパートにわたくしも住んでしまえば良いではないか、
ということになり、早急にご挨拶と相成った。
「あなたの人となりも知らないし、学歴もお仕事も知らないわ」。
当時のわたくしには、義母となる人を安心させて納得していただくだけのお土産は
何も持ち合わせていなかった。
しかも、後に知ることになるのだが、虎屋と高島屋を信頼している夫の実家へ、
わたくしは地元の駅ビルで購入した和菓子を持参してしまったし・・・。
「この家と家族のことを大切に想って努めてきたの。だから、あなたにも同じ想いで行動してほしいのよ。そういう事は、まずは大叔父様にご挨拶してから決めましょう」。
・・・義母の言葉は重かった。
💦大叔父様って?エルロイ大叔母様って、アンソニーの何だったったけ?
…最初がそんなんだったもので、
義母の想いになかなか報いることができず。
しかし一方では義母に認めて貰いたい想いはあり、結婚後のわたくしの全てのターニングポイントには義母が影響を与えている。
孫が抱けないなんて!と涙ながらに悔しがる義母を前に治療を決意。卵巣嚢胞と卵巣腫瘍と子宮筋腫が次々と見つかり治療。
あなたは本物じゃないから遠慮するわ、と腰痛を訴える義母に施術を断られたことがキッカケで封印した整体術。
息子を婿に出したワケではありません、とピシャリと言われて諦めた実家近隣の建売物件の購入。
長らく民生委員を努めた義母は、介護保険のお世話になる事を強硬に拒んだ。
「こちら側の人間が、あちら側でお世話になるワケにはいかないの。わかるわよね?」
…と、義母は頑張るが疲弊していく義姉たちをみかねてしまった。
杖の使用も、移動時の車椅子の使用も同じ理由↑で応じて貰えなかった。
夫からは「オフクロが嫌がることには関わらないでくれ」と言われた。
だけど。
義母の安心で安全で安楽な生活は、長らく続いてきた暮らしとは別域にあると感じ、そこへは家族では導けないと判断したわたくしは、お節介をしてしまった。
高齢福祉課と連絡を取ったのだ。
状態をお話しすると即日に地域包括センターからケアマネジャーが訪問してくれた。ケアマネジャー氏は、「こちら側」だった義母の尊厳を守りながら丁寧に傾聴してくれた上で問題点を洗い出してくれ、「あちら側」への橋渡しをしてくれた。
…そんな事がキッカケで一念発起したわたくしは、いつか義母にホンモノだ、と認めて貰い、車椅子を押さえてもらいたいと介護に職を求めた。
だが、間に合わなかった。
義母には、ついに最期まで安心と納得を与えてあげられなかった。
そして20年という年月は早過ぎて、
今、火葬炉の扉が閉ざされてしまう!
今度こそ、義母とわたくしは、あちら側とこちら側だ!!
わたくしは思わず
「今日までたくさん、ごちそうさまでした!」
と叫んでいた。
だって、与えていただくばかりで、わたくしは何も提供できていないから。
義母は、きっと苦笑しながら旅立ったことであろう…