不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

よしっ!まだ大丈夫だっ

中継画面にもしも、わたくしの姿がチラとでも映り込もうものなら

箱根駅伝フリークの息子はきっと、二度と口をきいてくれないに違いない。

 今年は家で応援。当然とばかりに、そう決め込んだ息子を自宅に残し、図らずも実家にやって来ることになってしまったわたくしは、葛藤していた。

沿道での応援観戦に行かぬべきところであるが・・・。

 

 実家は駅伝コースの近隣に在るのだ。

例年であれば選手たちが遊行寺を過ぎた頃から沿道に向かう。

その途中に出くわしたご近所さんと新年のあいさつを交わし、また、

元・同級生たちと「変わらんな」だとか「太った」なぞと悪態をつきながら選手たちの通過を待つのだ。

 

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 今年は各大学の幟も無く、声援も無い。

テレビ中継が時折、選手の足音までも拾っている。

小旗を振る応援者も居ない・・・。

息子は自宅でテレビで観戦中。

 

年末に体調を崩して入院したものの

ほどなくワケあって退院してきてしまった父。

その父を介護する母をレスパイトケアするためにわたくしはやって来たのであって

決して箱根駅伝を観戦するために来たのではなかった・・・はずなのだが。

 

藤沢駅入口付近を選手たちが過ぎた。

と、同時に父が便意が起きたと言うので手引きでトイレへ案内した。

が、しかし、ガスばかりが出て本体が出てこない!

ひたひたと近づいている選手たちが気になるわたくし!

さあ、どうする?

ふと、トイレの棚を見上げるとリハパンに添付して使用するパットが不足しているではないかっ!

ひらめいたわたくしは、父にパットを購入してくるから、そこに座っていなさいね、と適当なことを言い、靴をつっかけて小走りに沿道を目指した。

どうしても今、ひたすらにタスキを胸にして走る

若者たちを見ておきたかった。

でないと、

黒い気持ちに浸食されてしまいそうで怖かったのかもしれない。

メロスのように

約束を果たすために走る彼らに浄化されたかったのかもしれない。

 

果たして、沿道では黄色い大会ジャケットを着用したスタッフと警察官が

コースに背を向けて要所要所に立っていた。

観戦者は嘘のように少なかった。

そんな中へわたくしは勢い込んでやって来たにもかかわらず、コースには近づかずに辛うじてゼッケンの学校名が読み取れる位置でひとり、選手が過ぎていくのを見守った。

無駄な脂肪をまとわない彼らは、この日のためにすべてを調整してきたのだ。

繰り出す足の一歩一歩を称賛したい。

・・・親のような気持ちでいたら涙があふれ出てきた。

・・・親!トイレに置いてきた父を忘れてはいけなかった!パットは、またにしよう‼

 

慌てて実家に戻るとスッキリした顔つきの父がトイレに座ったままパットの到着を待っていた。ごめん。

一時は排便もオムツ上になるかなと危ぶんだ父だが、トイレで完了することができた。

よし。まだまだ今年も大丈夫そうだ。

きっと、すべてうまくいくに違いない。

 

 

富士急ハイランド級のコースターは、もういいや!

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16歳の息子は、中学2年間を完全不登校の後に卒業。

他県の県立高校へ入学を果たし、コロナ禍にも拘わらず順調に高校生活をスタートさせたのも束の間、どうしても「転校したい」と言って、夏休み明けに自宅に戻ってきた。

 

なぜ?だのどうして?だのと押し問答をしている間も選択肢もなかったので

通信制高校へ転校?

②来年、改めて高校受験をするか?

③それとも働いちゃう?

の、三択の中から①を選んだ。

 

で、10月からびっくらするほど机にかじりついて勉強しているなぁ・・・と思ったら

本日、1学年で取得分の単位レポートをすべて完了したのだと言う。

明日からは

【本当にやりたかったこと】【高校生の今しかできないこと】を始めるそうだ。

 

なんだか晴れやかな表情で鼻唄を歌っている息子が

辞めてきた高校のネーム入りのジャージを着ている。

フォレストグリーンの凄い色のジャージだ。

牛乳を買いに行ってよ、と頼んだら

いいよ、と応じて夫のお下がりのドカジャンを羽織ってコンビニに行った。

 

自由な16歳。

 

息子に.

たった一人でいいから、人生の師に出会って欲しいものだと望んでしまう。

たった一人でいいから、冗談を言い合える友達が居て欲しいと望んでしまう。

「まだ、そんなこと言ってるの?」と息子は呆れているが。

 

お出掛けしたくなった時にジャージではお困りだろうから

服をみつくろってやった。

古着屋で見つけた髑髏のプリント柄のトレーナーとキャップを・・・と、思ったが

GUの無難なトレーナーを選んだ。

犬のプリント柄が可愛いと言い、喜んでいるふうな息子であった。

 

しかし。この一年はジェットコースターのようにめまぐるしかった。

しかも富士急ハイランド級の!

ド・ドドンパ!

高飛車!!

FUZIYAMA!!!

ええじゃないか!!!!!

ま、乗せられて仕方なく乗ったわけでなく、

わたくし自ら面白がって乗ったんだけど、もういいですぅ。

スプラッシュマウンテンやレイジングスピリッツ程度の刺激で十分ですぅ。

 

2020年が、めまぐるしかったのは我が家だけではない。

2020年に見たかった夢を、形を変えて見続ける創造力をキープしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中村憲剛選手のこと

憲剛選手を初めて見たのは12年ほど前のことだったと思う。

 

川崎フロンターレの練習場。

息子とわたくしは、選手が去った広い芝の上を修繕するグラウンドキーパーの作業を見ていた。

毎日、プロ選手が駆け抜ける練習場である。

遠目では上等な緑のベルベッドに見える芝であるが消耗は大変なことであろう。

グラウンドキーパー氏の作業は大変緻密で、ひとつひとつ手触りを確かめるようにしながら小さな芝のほころびを修繕していく。

それにしても、練習場の芝は広い!いつ終わるとも知れぬ作業である。

夏の日盛りのなかである。縁の下の力持ちの仕事というのは尊い・・・。

息子と練習場を後にし山道に差し掛かった時、

前方から中村憲剛選手がジョグでやってきたのだ。

 

笑顔に少年の面差しを残した青年が、わたくしたち親子とすれ違った・・・。

 

当時4歳の息子にはその衝撃は大きかったようで、

その日を境にシンケンジャーになりたかった幼児は


シンケンジャー 変身

 

中村憲剛選手になりたい」と言うようになった。

 

以来、ルールもままならないわたくしであったが、息子を連れて等々力スタジアムへサッカー観戦に出かけていくのが楽しみになっていった。

観戦マナーはサポーターの皆さんに倣い、

タオルを掲げ、振り回し、共に歓喜した。

ある時は台風の中、息子と揃いのカッパを着てずぶ濡れになりながら。

普段、おとなしく、テンションの低い息子が憲剛選手がゴールを決めた瞬間に隣席のオジサンに抱きかかえられて喜んでいる様に胸が熱くなったり。

母と子の思い出をたくさん与えてもらった。

 

そんな憲剛選手が引退する。

シルバーコレクターと言われ、優勝になかなか手が届かなかったあの頃のチームを、攻守ともに圧倒的な強さを誇るチームに成長させて・・・。

選手ばかりではなく、スタッフ、サポーター、そしてフロンターレに関わるすべての人に対する感謝と愛を喜びの言葉に代えて・・・。

 

憲剛選手のインタビュー記事で印象的な言葉がある。

目の前のことを一生懸命にやる。

自分に期待する。

可能性に蓋をしない。

きっと、これからの憲剛選手も、↑そうあり続けることであろう。

わたくしも、胸に刻んでいる言葉。

息子の胸にも焼き印してやりたい・・・。

 

ピッチに立つ彼の姿を目に出来ないのはさびしいけれど、

これから先も、きっと彼の笑顔は変わらないだろう。

活躍を楽しみにしていきたい。 

そして、携帯の待ち受け画面にさせてもらっている憲剛選手と息子の2ショットも、変えるつもりはない。。。

 

そして、トミカフロンターレラッピングバスも買おうと思う。

 

 

 

石よりも強いもの、それはパーなのだぁ。

f:id:kanimega:20201127141642j:plain先日、母の誕生日に、と、妹と実家へ向かった。

夜勤明けの土曜の午後で予期せぬ渋滞に巻き込まれてしまい、

実家に着いた頃にはすっかり日暮れてしまった。

 

父は宴の食事を待てず、早々に自室で済ませて高いびき。

「ごめん」と発声したら母はすかさず

「ただいま、でしょ!」とツッコミを入れてきた。

 

何も要らないという母に、ささやかではあるがプレゼントを渡し、

小さなケーキに蝋燭をともしてハッピーバースデーを歌った。

ホットワインカップを手にした母がポツリ一言。

「何にもなれないうちに、何も生まないうちに後期高齢者になってしまったワ」

ドキリとして視線を交わす妹とわたくし・・・。

「たまにね、思うの。ああ、自分は石以下だなぁ。。って」。

 

母がそんなに寂しいことを日々考えて生きているなんて申し訳ない。

 

ママには自慢の娘がいるではないかっ!

大好きな絵を描くことを仕事にできた次女がいるではないか!

出来はアレだがママには孫も居るのよ!

ママが石なら、長女のわたくしは何?

石より弱いのはイヤ。

ママにはそろそろ勝ちたい。

だからわたくしはパー!

ママの石の思考を紙にひっくるんでゴミ箱に捨てるよ!

・・・そう、まくし立てると、

母は「長女はパーかっ!」と泣き笑いしていた。

 

後だしは、許さないヨ。


※追記

今しがた、オキザリス花言葉をググってみたところ【母の優しさ 決してあなたを捨てません】と、あった。タイムリーである。




隣家の長男の習慣はお変わりなく。後は風の前の塵に・・・

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我が家のお隣は豪邸である。

年に2回は植木屋さんが入り、数日がかりで庭木を整えている。

先週末も枝を粉砕するマシーンも持ち込み、ジャンジャンガラガラ延々と枝を粉砕。

 枝からこぼれ落ちた木くずは、そのままに放置され、宮大工の作業跡のようになっていた。

 

 加えてこの時期は大量の落葉が隣家庭から道路に注がれる!

大奥様がお元気な時分には毎朝、一緒に竹箒を振り回して落ち葉拾いをしていたものだ。チャーミングな大奥様は「もう、このくらいにして。後は風にお任せしましょ」ってな具合で。

この数年は、わたくしが担当している・・・。

 

週に何度か、お隣には都会に暮らす息子さんが訪ねてくる。

この息子さんの不可解な落ち葉掃除が、わたくしを安心させてくれるのだ。

常識に縛られない

隣家(つまり我が家)にどう思われようと構わない

長年の慣習を継続するまで、という落ち葉掃除は

あっぱれ!

エアーでバーッと我が家寄りの外壁に吹き寄せるだけ。。。それで、いいのだ!

かつて我が家の建築にあたり敷地と道路の間に高低差1メートルの落ち葉の堆積物があったのだが、

 

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これぞ息子さんの落ち葉掃除が作り出したものだった。

まさに、塵も積もれば山となる、である。

 

大奥様と初老の息子さんが、かつて母親と息子として暮らした昔から

掃き掃除は息子さんの仕事だったことであろう。

息子の手伝いを大奥様はきっと褒めて伸ばして今日に至るのだろう・・・

三つ子の魂百まで、か。

 

今朝も朝からお隣の孝行息子の落ち葉掃除。エアーの爆音が轟いており。

我が家の息子はその様子を窓から覗き

「やってるやってる!」とニヤついている。

出勤前のわたくしは、後は風にお任せしましょう・・・。

 

 

 

 

 

 

掃いても掃いても降り注ぐ思い有り。

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四国産の食材を見ると選びとってしまう。。

しらす

みかん

生姜

うどん

油揚げ

塩、

あの距離を駆け抜けてきて、ここに並んだかと思うと愛おしい。

手に取り、産地を確かめ、カゴに入れる。

一抹の寂しさを噛み締めながら。


と、いうのには理由がある。

四国は息子が、この春に選んだ進学先、の、はずだった。

わたくしは、息子以上に四国に期待していた。

しかし繋いだせっかくのご縁を自ら断ち切り、全てを打ち捨て帰宅してしまった息子。

そんな息子を未だに許せていないわたくしの思いが、膿んでいるのだ。


息子が四国の学校を離れる際に担任の先生がわたくしに掛けてくれた言葉がある。

「お母さんが学校に寄せてくれた期待は、今、すべてこの場に置いてお帰りください」。

…しまった!置き去りにできなかった。


今もまた、ジャコ天を手に入れてスーパーを出てきたわたくし。

別れたのに未練を引きずるストーカータイプの恋愛者ではなかったはずなのだがしかし!!!


掃いても掃いても降り注ぐ落ち葉のように、思いは堆積していく。






発語を躊躇し、書くことも怖くて二の足を踏む

「あなたの言葉に非常に疲れさせられて不愉快になる」

「聞き手の頭を使わせようと、わざとそういう言葉遣いをしてるわけ?」

「あなたは随分と不幸な生い立ちなのか、話をしているとイヤな気持ちになる」

「報告書を読んでいると、あなたの人格を疑ってしまうことが度々ある」

「いっそ、あなたのキャラクターは言葉にも文字にも不要だから」

「感想も意見も要らない」

「声のトーンが周囲をイライラさせる」

「反応がオチャラケていて怒りを感じる」

「行動ひとつとってみても、わざとらしくて腹立たしい」

「あなたの家族も、大変だねぇ」

「大人として社会人として通用する領域の常識を持ち合わせていないようだね」

・・・。

「スタッフは皆、あなたのそんな態度に辟易していると報告してきている」

・・・。

「そう!そうだよ。発言を抑えて黙って周囲に溶け込むのがいい」

 

新しい職場で日々、

わたくしが指摘されている、わたくし、という人間のダメについて書き出してみた。

そんなつもりで行動しているワケではなく

そんな思いで書いているワケでもなく

そんなつもりで言葉を発しているワケではないのに。

わたくしの想いとは違った方向で受け手に取られてしまうというのは、どういうことなのだろうか?

 

昨今の

人は多面体。一面観たたけでは判断できない・・・

みんな違ってみんないい・・・的な寛容な世の中の流れは、わたくしにとって都合が良かった。

ここへきて凪の海面のような心で生きよ!と、命じられても果たして・・・。

あっ!

その、凪の海面のような、という例えも職場では逆鱗に触れる!

そんなことを発語しようものなら・・・。

 

そんなワケで最近のわたくしは、心に浮かぶよしなしごとは全て

心に留め、発語しないし書かない。

深い針葉樹の森の緑の一点になったような気持ちで深呼吸し、

やがて心がおだやかになっていくのを待つ。

そこで気づくのは、この半世紀余り、

わたくしを許して諦めて育んでくれた全ては優しかったのだなぁ、ということ。

 

でもね、

・・・本当は針葉樹の森ではなく、雑木が入り混じる自然林のほうが

わたくしは好き。

あっ!またそんなことを書いてしまった・・・。

 

出勤前にホトトギスの花を見つけた。

花言葉は【永遠にあなたのもの】。

わたくしの心はわたくしのもの。

どんなに矯正してもおそらく変わらないだろう。

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