不登校息子+親介護+単身赴任夫=思秋期なあたくし。

怒涛のようにやってきた不登校と介護と夫の単身赴任の荒波を、更年期のあたくしがサーフィンする日々の記録です。

あの日から三ツ矢サイダーは痛飲するものになった

花が枯れていく様を目の当たりにしたのは8歳の春休みの事だった。

 

大好きだった祖母と出かけた春休みの遊園地のベンチで

頭痛を訴えた祖母。

「すぐに良くなるから。これを飲んで待っていてね」と手渡された

三ツ矢サイダーの缶。

しかし突然祖母の身体が前にのめり、

支えきれずに祖母は花壇の中に倒れてしまった。

救急車で病院に搬送される道すがら

救急隊員に再度手渡された三ツ矢サイダーの缶を抱きしめて抱きしめて病院に向かった。

 

一週間後、祖母は十字架が付いた小さな箱に納まって帰宅した。

遺影を彩る生花のなかに、わたくしが選んだ黄色いバラが飾られていた。

日ごと萎れて衰えていく祭壇の白い花たちを間引いて間引いて

やがて初七日には祖母を愛した人たちが持ち寄った赤や黄色、

咲き始めた桜の枝などが遺影を縁どっていった。

まるで、祖母が倒れた花壇のようだナ、なんて呟いたら父が静かに涙ぐんでいたっけ。

時間とともに受け継がれるもの、癒えていく心の化身のように花を感じた。

 

大人になって蜷川実花氏を知り、また違う花のパワーを知ることになった。

先日、氏の作品に触れる機会があったのだが

若い来場者がスマホで会場を撮りまくる姿と、

氏が発信する、生花ではない、永遠に咲く花の世界に気圧されてしまい、

その場をどう楽しめばよいのか、が解らなかった。

 

転がり落ちた三ツ矢サイダー

花壇、

枯れ行く花々の記憶。

我が父は、大好きだった祖母の子で、

この春もますますお元気。まだまだその命は枯れそうにない。

 

一人暮らしの横糸になる!

叔母は鎌倉で一人暮らし。

叔父は秘密基地のような居場所3拠点を行き来しながら一人暮らし。

義姉は義父母が残して逝った家で一人暮らし。

夫の単身赴任は10年を超える。一人暮らしは、おそらくこの先も続く。ずっと。

息子は進学先の山の中で一人暮らし。

 

わたくしは誰も帰って来ない家で一人暮らし。

誰も訪ねて来ない家…、にしてしまったのは、わたくしの魅力が足りなかったからなのだろうなぁ。

 

昔、実家には事あるごとに皆が集った。

誕生日、クリスマス、夏休み、花の頃、週末。

何でもない日でも庭で鯵の開きを焼いて皆でつつけば、ご馳走だった。

雪が降れば庭にストーブを出して正月の残り餅を焼いて、甘酒を温めて。

そんな温かい場所のホストは、

今では怒ってばかりの我が父と母であったことを忘れてはいけない。感謝しなければ、ね!

 

…雪の日は特にいろいろな事を思いだす。

雪だるまの作り手が巣立ってしまった庭には

わたくしの足跡だけがいつまでも残っている。

はしゃいでいない面白くない足跡だ。

 

ぼんやりと庭を眺めていたらご近所さんが

お汁粉を差し入れしてくれた。

わたくしに、と、作って持ってきてくれた。

嬉しかった。

誰かと食べるひと口は、こんなにも丁寧で嬉しくて温かい。

 

立春大吉

雪の軒下に蕗のとうを見つけた!

わたくしにも、皆の1人暮らしをつなぐチカラがあるだろうか。

もう春だから、やってみよう。

 

 

 

 

 

可愛く無い、嫌い、2度と来るな、と、言われてみれば

毎年のことであるが、実父は年末年始に体調を崩す。

と、同時に傍らで父の日常を世話する母の心労がかさみ闇が深くなっていく。

 

とある冬の日、

実家を訪れたのだが、すでにわたくしが出来る新しい策は見当たらないジゴクの有り様。

仕方なく父の両腕を握りしめて諭すように語りかける。

が、「わかったふうな口を聞くな!ロクデナシ!」と突っぱねられる。

おー、オキシトシンが足りないのかなぁ?と思い父を抱きしめてみたところ、

「ぐわ〜っ!」と叫び声を上げる父。

そして「殺されるっ、殺されるっ、俺はまだ死なないぞっ、俺の家だっ、2度とお前ココに来るなっ、邪魔すんなっ!死ね!お前が死ねばいい!」「ママっ!ママーっ!殺される!コイツに殺される!助けてくれー!」

腕をぶん回しながら拒否されたのだった。

…父は誰よりも長生きすることであろう!

 

 

お手上げの程で父の居室を出ると

母は淡々とキッチンで糠床をかきまぜながらわたくしに言った。

「小賢しい理屈こねたってパパとママの日常は1ミリも変わらない。そんなアンタが昔からママは可愛くないし嫌いだし」。

…知ってるよ💢

わたくしが、まだ小さな頃から母の口癖は

「アンタの、そういうところが大嫌い」だ。

もう百万遍も聞かされてきた。

 

思いは平行線でゴールが見えない介護生活。

それぞれの気持ちの中で

ミッチミチぱんぱんに膨れた気持ちは、

わたくしの介入で多少ガス抜きできたのだろうか?

わたくしは、こんな事しかできない不甲斐ない娘なのである。

 

こんな時は退散!

寂しくなる前に悲しくなる前に退散するのだ。

 

天の神様。

今年も、こんな私たちの1ミリも成長しない家族を見ていてくださいっ。

 

 

父を洗う

元日。

夫の叔父叔母の二人暮らしを訪ねた。

13時半。ドアの呼び鈴を押して数分待つ。

しばらくして薄くドアが開かれ蒼白の叔母が顔を出した。

明らかに体調不良と見て取れる夫妻の顔色に愕然とし、早々に辞す。

この状況を夫は知っていたのだろうか?

怒りがにじみ出る思いでそのまま車に乗り込み義兄夫婦の家に襲撃をかける。

 

14時半。義兄の言うことには

「【叔父叔母の体調不良を知ったら、kanimegaが老夫婦の要らぬところまで手を出し口を出すに違いない。だから知らせないでくれ、】と弟から言われた」ので内緒にしていた、と。

 

15時半。亡き両親の実家を継いで暮らす義姉を訪ねる。

小柄な義姉は凍えそうな細身の全身に義父の衣類をまとい、エスキモーの少年のような様子だ。火の入っていない台所の様子から義姉もまた体調が不良である様子が窺えた。

今の義姉に叔父叔母をサポートできる余裕は無いことだけは明らかだ。

叔父叔母は誰の力も借りずに限りある時間を伸びのびと消費したいと望んでいる、だから今、手も口も出せないのだよ、と、諭すように伝えられた。

わたくしが改めて介入したとして、ソレは明日からしばらく、たとえば季節が暖かくなるまで持続可能な行動なのか?と問われれば二の句が継げない、約束しかねる。

加えて介護保険サービスに助けてもらいたい項目は何一つ見いだせないと言う老夫婦に、わたくしが提案できる話は全く無い。

「帰るね」。

そう言うわたくしの背中に義姉は、

余力があるのなら自分の両親のお世話を去年以上にやってあげてよ、と

言ってくれた。

 

帰路のアクセルは脱力気味に操作していたのだが

信号待ちの車中で妙な揺れを感じた。直後カーラジオのクリスペプラー氏が能登地方の地震を伝えた。

?あれ?震度って、そんなもん?

カーナビをテレビに切り替えると画面に【逃げて】の文字が躍っており血の気が引いた。

反射的に車の進行方向を自宅とは反対の海の方角に替えて走らせていた。

実家は太平洋側なのだが

無性に両親に会いたくなったのだ。今、会わなければ、と。

「あけましておめでとう」を言えるうちに伝えなければという思いに突き動かされていた。

きっと、父は嫌がるだろうが新年だから、という理由をかざして風呂に入れてやろう。

耳に、、目に、、、、臀部に、、、、、こびりついた汚れを落とし

剝離した皮膚ににワセリンを塗ってやろう、

つながった眉毛もカットしてやろう、

それから今年もたくさん喧嘩しよう・・・。

変わらぬ毎日を重ねていこう、日々の変化を見守ろう・・・。

 

鳩サブレーを持って。

鳩サブレーを80枚持って夜行バスに乗った。

鳩サブレーとは神奈川県の銘菓で、鳩の姿をしたクッキーなのだ。

壊れモノだから、と鳩サブレー80枚を抱えてシートに座り即、寝落ち。

早朝、

息子が一人暮らしをする町に到着した。

しかし既に登校したという息子。

部屋の鍵を渡されていないわたくしは、鳩サブレーを抱えたまま、これはどうしたものか?と途方に暮れたが、駅のコインロッカーを止まり木とし、事なきを得た。

 

身軽になって電車に乗ると

輪行バッグを持った若者達が居た。

軽登山の支度を整えてた初老の紳士がオニギリを食べていた。

待ち合わせの仲間と合流してはしゃぐミドルエイジの女性グループが居た。

皆、一様に白い歯を見せて笑ってる。

そうか!マスクを外しているんだ!

わたくしも、それにならい、そっとマスクを外した。

電車は途中駅で上下線の行違い待ち合わせを繰り返しながらゆっくりと進む。

開くドアから杉の芳しい香が雨上がりの冷気と共に入り込む。

ここは、【木の畑】が連なる町。

 

この度、首里城・令和の復興に使用する原木が、この山々から産出されたと知った。

わたくしの人生に影響を与えてくれた【10大好きなもの】首位を争う、首里城

…あの日、業火のなか燃え落ちる平成の首里城本殿を、阿呆のようにテレビで眺めるしかなかった悔しさ…。令和に産まれくる新しい首里城の骨と胎内に触れてみたくてわたくしは、

ノコノコ、トコトコと、ここまで来てしまったのだ。

鳩サブレーを持って。あ、コインロッカーに止まり木させてきたけれども。

 

芳しい空気に包まれた駅に降り立ち鼻歌混じりに山のガイドツアー集合場所を目指す!

はやる気持ちを抑えきれない小学生男子のように小走りしながら!

「◯◯ママっ!」と、背後から呼びかけられるふりむくと白い葉を見せて笑う日焼けした若者が3人居た。

「いつもお世話になってます、あっ、リュックがねじれてます」と1人は、いきなりリュックを直してくれた。

「山は冷えるので上着をお持ちくださいねー」と、1人は半袖のわたくしを心配してくれた。

「はい、コレ、家の鍵。無くさないでね」と、鍵を差し出してきたのが息子だった。遠目、息子だとはわからなかった。

元・不登校息子が学友と一緒にわたくしの前に現れたっ!当たり前のことなんだけど、わたくしが辿ってきたこの数年においては凄いことだった!しかも学友の、こなれ感が凄すぎる!失礼ながら年齢を伺ってみると、この春、四大を卒業してきたのだ、と、教えてくれた。そんな彼らは山守修行中だ。

こちらこそ、いつもお世話になっております、少しばかりですが鳩サブレーを皆さんに、と、お持ちしましたので後日、お茶請けに召し上がってくださいねー、と、

これまた鳩サブレーネタが軸の挨拶をしてしまった。

ちなみに、鳩サブレーをアタマから食べる派か尻尾から食べる派か、という話題は息子から途中で静止された…。

 

この日参加した山のツアーは森林と林業と製材と加工の現場を知るためのものだ。

撫育、という言葉があるが、林業現場とはまさにソレであった。丁寧に育てる。可愛がって育てる。人との関わりの上で樹々は育てられ育つのだ。

一方で手が入らない多くの人工林の脆弱さが周知され保全されなければ、あらかたの森林は資源になるどころか防災上でのリスクになっていくことだろう。

手を打ってスグに答えが出るものではないのも林業。撫育、撫育、撫育!と改めて知ることとなった。

切り出された木が口を見せて並ぶ姿は、どれも愛おしい。年輪の詰りは耐えて成長させた証。

首里城に、と選ばれた木も100年あまり山守たちがいつか何かになる木、として撫育してきたに違いないのだ。奥山からヘリコプターで搬出された、という木。その成長の過程でまさか沖縄の城になるとは思わなかっただろうな。

 

山を堪能して再び電車に乗り鳩サブレーをピックアップしに戻った。

息子のアパートで思いつく限りの作り置きオカズを作った。

山守修行の息子たちは夜間稽古も忙しいようで、帰宅したのは21時を回っていた。

「帰ってきてご飯食べられるのって、いいね」と笑う息子を残して風呂屋に出かけた。

町は仄暗く星が冴え冴えと輝いている。駅前の学習塾では高校生たちが自習している様子が見えた。求めてココに来た息子。ココから羽ばたいて何処かに行こうとする子たち。自分の選択を信じて進める日々が、いついつまでも続いていますように!

 

 

 

 

日帰り手術をしてきた

術前、しばらく白髪染めはできなくなるだろうと予測し、

美容院へ行ってきた。いつもよりも暗めの髪色に変更。

帰りに業務スーパーへ立ち寄りアイスキャンディを大人買い。冷凍庫をいっぱいにして・・・。

車で来るな、と、書いてある術前説明書に従い雨の中を自転車で病院へ向かった。

カッパを着て・・・。

 

処置室でチョチョチョイと終了してしまうだろうと思っていたのだが、

術着に着替えて案内されたのは、ちゃんとした手術室であった。

藤井風クンに似たドクターの好みなのか、軽快なジャズが流れていた。

うつ伏せで始まった手術。

頬を流れる得体のしれない生暖かい液体は、果たして我が身から出るものなのか何なのか知る由もなし。あまり深く考えると心拍が上がってしまうので呼吸を深くし整えつつ風クンドクターに委ねる。

切る、焼く、ほじる、縫う、で、うつぶせ寝の仏像のようなポーズで一時間余り。

日頃体力自慢のわたくしであるが術台から降りる頃には自信を喪失。

こりゃ、しばらく運動はできそうにない!

「自転車で来たんですって?」と、優しく看護士さんに声を掛けられてハッとする。

「無理しないでくださいね」と、言われ苦笑いをした。

 

案の定ふらつきが強くて自転車を押して帰った。

処方されたカロナール10粒を握りしめて。

 

帰宅するとドアに【お見舞い】とデカく書かれた紙袋が下がっていた。

中身はご近所さんが差し入れてくださった巨峰だった。

【強がらず、時には甘えること】とメモが入っていた。

 

以来3日ほど痛みは続き、アイスキャンディと巨峰とカロナールと時々アルコール飲料で元気をつなぎ、今日にいたる。

単身赴任夫も地方暮らしの息子もわたくしの手術の顛末を知らないし、過ぎてしまった痛みと共に感じた一抹の寂しさをわたくしは家族に愚痴ることもしないだろう。おそらく一生。

 

強がらず、時に甘えられる誰かって、50歳過ぎたオバサンにだって必要だと思う。

誰?

そんな人、居るかな?

 

 

 

3人家族、集合する

単身赴任夫の家賃と進学先で一人暮らしの息子の家賃と自宅のローンを合算すると月々、住処に対してとんでもない額を払っていることになる。

 

この夏、太陽光発電で満たされた蓄電池は、いつでも満タンである。

わたくしが仕事に出ている間の日中帯は自宅に金魚5匹が残されており、しかし金魚のためにクーラーを使うわけにもいかず、余剰電力は爆安で買い取られていく。

陽にさらされ続けたテラスの板目がそり返り、ささくれてきた。

芝刈りをしたものの、その後雨が不足し、

葉先が黄色く枯れてしまった。

先日の強風で物置の扉が外れてしまい、飛んだ金物で外壁が欠けてしまった。

ついでに

夜中に出現したゴキブリを退治しようとして撒き散らした台所用洗剤に足を取られて転倒。この際、肘を打ちつけたクローゼットに穴を開けてしまった。

 

…そんなタイミングで

単身赴任夫と息子が帰省した。

久しぶりの料理も、なんだか冴えなくて

焦げついたハンバーグを暗澹たる気持ちで皿に盛り付けた。

しかし。

食卓を囲む夫と息子は饒舌で

わたくしが分け入ることの出来ない小難しい話題を笑顔でやり合っているではないか。

しかも、クーラーを付けない!

窓が一方向しか無いアパートと比べたら家は涼しいのだとか。

2人とも揃って春から7キロ痩せたのだそうで、日頃、多忙な中で食事の支度がしんどいのだと互いに共感していた。

ゴーヤチャンプルと人参サラダを追加して食卓に置き、

わたくしは暑すぎる部屋を、そっと離れた。

掃除分解したら作動しなくなってしまったウォシュレットの事は黙っておこうと決意しながら…